日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎帰って来た「エレベーター四文字熟語」

帰って来た「エレベーター四文字熟語」
 土曜の朝にエレベーターに乗ったが、上を見上げるとモニターに四文字熟語の出題が掲示された。
 この日の問題はこれ。

 「美」

 あれ。これまで出たことが無いし、そもそも知らんかもしれん。
 前半は想像がつくが、後半は何だっけ?
 と考えている間に四階につき、ドアが開くのと同時に答えが出た。
 「有終完美」

 なるほど。「ゆうしゅうかんび」なのか。
 知らんな。一般に使われるのは「有終の美を飾る」という言い回しだ。
 この感じは文字の通りで、語源らしきものはなさそう。
 (あとで調べたが、やはり故事成語ではなかった。)
 たぶん、これまでの見てきたはずだが、故事のない言葉には興味が薄いので記憶に残らなかったと見える。
 ひとは自分の見たいものだけを選び、見たいように見る。

 週末になると、競馬好きのオヤジ看護師がやって来る。
 「先週も穴党向きのレースでしたが、今週はさらに荒れそうですね」
 「先週の七夕賞が四千五百倍見当なら、今週の函館記念は六千五百倍だ。三連単を十枚千円で打ち取れれば六百五十万円」
 ま、この手のレースには当方はどんと張る方なので、引っかけられればまとまった金額になる。
 それから、あの馬がどうのこの馬がどうのという話になり、調教の具合などを説明した。
 今週のは函館競馬場で追い切りした馬ばかりだから、JRA公表のビデオくらいしか素材が無い。

 治療が終わり、休憩室に食事に行ったが、ほとんど新入の患者ばかりだった。三月四月を越すと、顔ぶれがガラッと替わる。
 どんどん人生を卒業していくわけだが、ここでは普通の光景だ。
 死に間際の表情を何十人か何百人か見て来たので、「この人はあとどれくらい」と言うのが、何となく分かるようになった。
 この世を去る時が近づくと、自分のことで精一杯になるから、声掛けをしても返事が返ってこない。
 耳に届かぬのだ。
 そういう患者は医師・看護師以外の他人とは没交渉になるが、それだけ病状が厳しいという意味になる。

 当方が「他人とは関わらない」「不義理をする」と公言するようになってからもう久しいが、状況が似ている。
 自分のことで精一杯で、他人のことに関わっている暇はない。
 週に三+一日は専ら通院だけ消費され、その日は帰宅後も横になっているから、使える時間が極端に少ない。
 生きている間にまだやることがあるし、出来ることもあるから、他人と関わっている暇はない。
 友人どころか、親族にまで「もう会えない」と宣言してある。
 つい最近までは「親の葬式にしか出ない」と言っていたが、たぶん、親の葬式にも行けない。新幹線に乗っている間に途中下車で救急搬送になりそうだ。ま、九十台の親よりも先にこっちが先にくたばりそうな状況だ。
 
 こういうのは、実際、棺桶が目の前に見えているので当たり前だ。
 これこそ、自分なりの「有終完美」のあり方だと思う。
 と、これがオチ(落ちていないが)。 

 ところで、「▢終▢美」でぱっと頭に浮かぶ四文字はほとんどなく、「かんび」が分かってからも「藤山寛美」しか思いつかん。造語すら出来んぞ。

 「最終明美」:一緒に飯を食ってくれる女子のネタが尽き、ついには明美ちゃんだけになった。ダメだこりゃ。