◎病棟日誌「悲喜交々」 七月十四日
心臓の保護のために「設定体重」が徐々に下げられ、コンスタントに毎週300gずつ減っている勘定だ。
保水量を落とすと、確かに心臓は楽になるのだが、人は心臓だけで生きているわけではないから、下げた当日はぐらぐらする。
十四日木曜は通院日だったが、帰宅後、早めに夕食の支度をすると、居間の床に倒れて寝ていた。
先ほど、深い闇の中から、根を伸ばすように意識が芽生え、目覚めたのだが、床に倒れてから五六時間経っていた。
家族は、皆が「寝ている」と思ったようだ。
この日の朝、病院のロビーにいると、ガラモンさんがやって来た。ガラモンさんは前に隣のベッドにいたオババーサン患者だ。
大動脈が三本総て塞がったので、バイパス手術を受け、心停止の状態からこの世に戻って来た。
同じ「心停止クラブ」の会員なので、気兼ねなく突っ込んだ話が出来る。自分で実際に経験しないと分からぬことが多いので、心停止中の話は、他人に言ったり書いたりしない部分があるのだが、ガラモンさんは別だ。
ガラモンさんは、「定期通院の必要がなくなり、あとはペースメーカーの点検だけになった」と報告しに来たようだ。
「そりゃ良かったですね」と答えた。
あの状態から良く生き残ったよな。担架で運ばれるところを、すぐ間近で見ていた。
すると、ガランモンさんは「Kさんの方は大丈夫なの?」と返す。
「仲間」意識があるだけに、かなり前に長椅子に横になった時にも、すぐに突っ走って来てくれたっけな。私は少し眠くなっただけ。
日頃は自分のことで精一杯だろうに有難い話だ。
ガラモンさんの本用件はこっちの方だった。
前回、治療中にトイレに行きたくなり、中断して貰ったのだが、トイレには車椅子に乗せられて行った。切羽詰まっているから、移動のスピードが速い。
同じ病棟にいるので、その様子が他の患者に見える。
この状態は、「これから容態が悪くなる患者」の初めのパターンと同じだ。
私は入棟順で既に四番目まで繰り上がったのだが、周囲はガラモンさん他数名の他、皆が入院病棟に消えたままだ。
歩けなくなってから、数週間で病棟を移り、三か月で名札が消える。
このことを私もガラモンさんも知っている。
で、私が「次の順番」になっているかどうかを心配して来てくれたのだった。
周りにいる看護師や患者が一様に「コイツはそろそろヤバい」と思っていたとなると、やはり自分自身が「俺は不味いかも」と自覚するよりも一段重い気がする。
「次」か「その次」あたりが本番だと思う。
「全然大丈夫ですよ。トイレに行きたくなったら、最近、歩いて行き転んだ人がいるとかで、車椅子に乗せる決まりになったそうです」
「あはは。そうだったの。私ゃまた心臓の具合が悪いのかと思ったわ」
医師との会話が他の患者にも丸聞こえの状態なので、患者は他の患者の状態を知っている。
私の心臓が今はかなり肥大していることも、当然、ガラモンさんは承知していた。
もちろん、あれこれしんどいのは私一人だけではない。
隣の女子患者(と言ってもアラ四十)は、明日、大腸に出来たポリープを切除するそうだ。内視鏡でちょこっとというサイズではないらしく、何日か入院するようだ。
親族の多くが大腸癌ということで、もの凄くビビッている。
向かいの患者は、当家の近所に住む八十歳の老人だが、血圧が急降下して上が六十前後になった。
その場で心電図を採ったり、医師が細目に診察に来たりしている。血圧は、高くとも低くともダメなのだが、心臓由来の変化の場合なら、低い方がよりヤバい。血液が流れなくなっている状態になった場合がある。
ガラモンさんの血管が詰まった時も同じで、五十くらいまで下がった。
こういう状態で死ぬと、死因は「心疾患」になる。
腎臓病患者は統計的には割と長く生きることになっているが、直接の「腎不全死」以外は別の死因になるからだと思う。
実際、入棟時に私は28番目位だったが、五六年で前の患者が亡くなったり、後ろの患者に追い越されたりで、百数十人が消えた。
となると、既に五年を越えているから、むしろラッキーな方だと思うべきかもしれん。
病棟を出てエレベーターに乗ると、久々に「四文字熟語」が目に付いた。最近は眼に止めることも無くなっていたのだが。
「※知縦※」
知らんな。目を向けることも無くなっていたから、奥の手を出して来やがったか。
答えが出たが、「機知縦横」なそうだ。
やっぱり知らんが、基礎知識のないのは私だけなのか?