日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎心停止の後に「見るもの」、「出会う人」

◎心停止の後に「見るもの」、「出会う人」

 同じ病棟に、私が「ガラモン」さんと呼んでいる女性がいる。

 カーリーヘアの風貌が、かつての「ガラモン」を思い起こさせるので付けた愛称だが、もちろん、あくまで心の中だけで呼ぶニックネームだ。怪獣ではさすがに失礼になる。

 

 たまたま、この秋からベッドの配置が替わり、隣同士になったから、時々話をするようになった。

 「ガラモンさん」は、この春に、治療中に心不全を起こした。心筋梗塞で、心臓の大静脈が総て塞がってしまったのだ。この病院では循環器の込み入った治療が出来ないので、「ガラモンさん」はすぐに専門病院に運ばれた。

 そっちの病院に着くと、すぐに心臓が停止したので、人工心肺を付け、脚の血管を心臓に移すバイパス手術を受けた。それからひと月の間、ICUにいたが、さらにひと月の入院生活を経て、再びこちらの病棟に戻って来たのだ。

 

 心停止を経験したことのある人は極めて少ないから、いずれ話が聞きたいと思っていた。

 私自身も過去に心停止の経験があるから、ガラモンさんは仲間のようなものだ。

 そうは言っても、「死んでいた時に何が起きたか」という話題は、あまり持ち出し難い。

 現状、私もガラモンさんも闘病生活を送っているわけだし、生き死には日々の現実そのものになる。時々、患者が去って行くから、そんな状況で、こういう話題をすることはほとんど無いし、避けているのだ。

 ま、「いずれ友だちになったら話そう」と思い、何ヶ月か世間話のやり取りをしていたが、ようやく打ち解けて来たので、この日話題にしてみた。

 

 「心停止していた時に、何か見ましたか?俺は自分自身を見たけど。ベッドに寝ている自分自身を、脇に立って眺めていた」

 すると、ガラモンさんは「私も」と答えた。

 我に返ると、体に点滴やらを十数本も繋がれた状態の自分自身を眺め下ろしていたという話だ。

 発症の時には、苦痛を感じず、看護師たちが大慌てで搬送するのを、傍観者的に眺めていたが、心停止後と同時に意識が無くなった。次に目覚めると、自分はベッドの脇に立ち、眠っている自分自身を眺めていたらしい。

 

「俺とまったく同じですよ。若い頃に突然死しかけたことがあるのですが、救急車に乗せられて病院に行く途中で心臓が止まった。そこから次の日までほとんど意識は無かったのですが、途中で、あれこれ処置をされている自分自身を眺めていたのです」

 その時、私は同時に廊下に座る父の姿も見た。父は長椅子に座っていたのだが、救急隊員に慰めの言葉らしきことを掛けられていた。ま、車内で既に心停止していたから、退院は「かなり難しい状態だ」と判断したらしい。

翌朝、私が目覚めると、心臓の異常がすっかり消えており、昼頃に帰宅したのだ。

 

 「その後で気が遠くなったけれど、また気付いたのよ。すると、目の前にお祖母ちゃんが立っていた」

 「お祖母ちゃん」とは、ガラモンさんの母親のことだが、まだ亡くなったばかり。

 そのお祖母ちゃんが立っていたそう。

 「お母さんだ」と思い、ガラモンさんが近付こうとすると、お祖母ちゃんは「来るな」と言わんばかりに手を振った。そこで、ガラモンさんは近寄らなかった、とのこと。

 

 「俺の方は五年くらい前に心臓の治療を受けたのですが、その時にお迎えに会いました。目覚めており、ベッドに座っていたところに、二人組の男が現れたのです。男たちはドアを開けて、真っ直ぐ俺のベッドに来ました。人相の悪い男立ちなのですが、明らかに俺を連れて行こうとしていました。ベッドに近付き、俺の方に手を伸ばしたのですが、水族館のアクリルの壁のようなものがあったようで、俺を捕まえることが出来ません。しきりに手を伸ばしていましたが、無理だと思ったのか、男たちは去って行きました」

「良かったね。連れて行かれなくて」

 「お互い、相手について行かなかったから、今もこうしているわけです」

 

 これまで、臨死体験を経験した人の話を幾つか聞いて来たが、共通の傾向があるようだ。

 「お迎えの本番は、必ず肉親など身近な人が来る」というのも、実際によくあるらしい。

 

 「小さい人」もそういう類のものだ。

 今回の出来事ではないが、かなり前に、ガラモンさんはお腹の病気になり開腹手術を受けたことがあるらしい。

 その時も生死の境目に達したが、何とか命を取り留めることが出来た。

 術後にベッドで横になっていたが、何気なく窓のほうに眼を遣ると、そこに「小さい人」が4、5人いた。まるで妖精のような姿をした小人たちは、窓の桟の上で踊りを踊っていた。

 「その小さい人はどうやら現実にいるようですよ。写真を撮ると、時々、説明のつかないものが写ることがあるのですが、金色の小人もそのひとつです」

 四十㌢くらいの背格好なのだが、全身が金色に光っている。何をするわけでもなく、ただ銅像のように立っているのだ。米国のアカデミー賞で渡されるオスカー像に似ており、顔ははっきりしないが、手足はちゃんと判別できる。

 おそらく、ガラモンさんの見た妖精と性質が似ているものだと思う。

 「ただそう思っただけじゃなくて、たまに写真にも写るのです」

 「ふーん。不思議だね」

 ガラモンさんは、自身も妖精を見ているので、私の話を否定しなかった。

 似たような経験をしたり、身近にそういう人がいたりすると、人はそこで聞く耳を持つ。

 知らない人はあっさり否定するだろうが、単に「知らない」だけ。実際にいるかどうかを検討出来るのは、現に経験した者だけだ。

 

 「※※さんはもの凄く強いツキを持っていますね。数多の危機を掻い潜って来てるもの」

 褒め言葉になるのかどうかは分らないが、ガラモンさんにそう言うと、ガラモンさんは「お互いさまよ」と笑った。

 ま、違いない。お迎えが来たけれど、この世に留まっているし、まだ立って歩いているもの。

 もちろん、性格はだいぶ曲がったし、世間一般の価値観とはまったく異なる世界を生きているとは思う。

 

「友だち」になれる要件は、「同じような経験を積み、相手のことが理解出来るようになっている」ことだろうが、ガラモンさんは、これで「マブだち」の域に入ったと思う。