日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第754夜 湖畔

◎夢の話 第754夜 湖畔

 夢は心の窓で、夢の中身を解き解すことで、自分自身を知ることが出来ます。

 これは22日の午前3時に観た夢です。

 

 我に返ると、荒れ果てた砂漠に立っていた。いわゆる「岩石砂漠」というやつで、大地が赤茶けた岩や砂利のようなもので覆われている場所だ。

 俺は高台に立ち、その景色を眺め下ろしていた。

 「米国ネバダ州だったかにあったかな」

 カメラを取り出して、写真を撮る。

 すぐに画像を開いてみた。

「あれ?」

 画面に映っていたのは、緑色の景色だった。

 水が湛えられた湖の周囲を木々が囲んでいる。

 豊かな森で、動物達がのんびり暮していそうな森だった。

 

「こりゃ、一体どういうことだ?」

 画面から眼を離し、直接、景色を見ると、やはりそこは赤茶けた砂漠だった。

 そこで、もう一度撮影する。

 画面を覗くと、こっちは同じ緑の景色だった。

「うーん」

 訳が分らない。目の前に見えている景色と、写真に写った景色が違っている。

「どっちが本物なのだろう」

 ま、直に見える方が本物と言えそうだが・・・。

 

 繰り返し写真を撮るが、画面に見える風景は、いつも森と湖だった。

 そこで、俺は高台を下り、下に行ってみることにした。

 岩の合間をゆっくりと下り、平地に達する。

 撮影をしながら前進し、湖畔に至った。もちろん、ここは画面の中での、という意味だ。

 岩のひとつに腰を下ろし、周囲を見回す。

 「さすがに、森と湖の方がいいよな」

 ここで、もう一度撮影する。

 画面を開き、俺は再び「あれ?」と呟いた。

 遠くの森の方に人影が立っていたのだ。

 急いで、そっちにカメラを向け、拡大してみる。

 その時、ふと気付いたが、ファインダの中の景色は、森と湖に変わっていた。

 画像を開くと、確かに男の姿が見える。

 

 だが、カメラから眼を離すと、やはり砂漠だ。

 改めてファインダを覗くと、そこには森と湖がある。

 俺は人影を追うことにして、そっちの方向を連写した。

 すると、男の姿が次第に大きく見え始めた。

 俺のいる方に近付いているのだ。

 「やや。こっちに来るぞ」

 連写して様子を見る。

 

 男はあっという間に数十㍍の距離に近付いた。

 俺は撮影するのを止め、ファインダを覗いたまま、男の動きを追った。

 男が5㍍の近さに寄った時に、視線をファインダから外すと、そこに男が立っていた。

 「おお。立ってる」

 男はおよそ30歳前後で、俺と同じくらいの年恰好だ。

 少し色の付いた眼鏡をかけ、俺のことをじっと見ている。

 (何だか、俺に似ているな。)

 俺は内心でそう思ったのだが、その考えが相手に伝わったらしい。

 男が口を開く。

 

 「瓜二つだろ。そりゃそうだ。俺はお前のドッペルゲンガーだもの」

 こいつが俺に似ていたのも当たり前だったか。

 そうなると、俺の命は「あとひと月」ということだ。

 ここで覚醒。

 

 途中から、直感で「この湖畔の風景は死後の世界だ」と気付いた。

 死後に見る形象は、「主観的に形成される」から、本人の心の状態が直接的に反映される。

 恨みを残して死ぬと、どろどろのタールの中だし、自殺すると死ぬ間際の闇に包まれる。

 その意味では、「森と湖畔」という環境は、死者にとって悪い状況ではないと言える。

 穏やかに自我を解放することが出来るようになるからだ。