日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌 悲喜交々 12/9 「伴侶の重要さ」

病棟日誌 悲喜交々 12/9 「伴侶の重要さ」
 土曜は通院日。
 介護士のバーサンに江刺りんごをあげようと思い、持参したが、周囲に人が少ない局面が少ない。皆にはあげられず、特定の人を対象に贈呈するので、他人の目に付きたくない。一応、「つけとどけ」は禁止になっている。

 この日の体重の計量はそのバーサンだった。
 「お名前は?」
 「横井庄一です」
 バーサンが「ええ。誰だったかな」と首を捻る。
 オイオイ。このバーサンは認知症が進んでるぞ。
 昭和四十年台を知る者で、「横井庄一」を知らぬ者は無いから、これが分からないのは、即「ボケている」というこった。

 午後の終わりの計量の時には、ウエキさんという五十台の看護師が担当になったので、今度は昭和五十年代にシフトした。
 「中野良子です」
 すると、ウエキさんも首を捻る。
 「あれ。誰でしたっけ」
 えええ。かつての「オヤジの恋人」の中野良子さんを知らんのか。
 「奥さんによし、愛人によし」と万能型の美人だべ。
 だが、彼氏の前では、案外、わがままだったりしそうではある。
 いまはどんなバーサンになっていることやら。
 中野良子さんを知らんのでは、やはり十年以上齢が違う。
 「ウエキさんは若いなあ」

 治療が終わり頃合いを見計らったが、やはり看護師が回っていて介護のバーサンに渡すタイミングが掴めない。
 そこで、常々「食が細い」と言っていた「お茶屋のオバサン」にリンゴをあげようと思ったのだが、オバサンのベッドの周囲にも人が沢山いて、なかなか渡せない。
 特別、そのオバサンだけに何か上げるとなると、こちらはオヤジジイだけに色々勘繰られそうだし。

 結局、リンゴは鞄に入れたまま帰宅した。
 駐車場に車を停めると、すぐ近くの畑で、駐車場オーナーのバーサンが何か手入れをしていた。
 「よし。この人にあげよう」
 畑に入って行き、「いつもどうも有難うございます」とリンゴを渡した。
 「急でしたので、少ないのですが、田舎のリンゴです。江刺リンゴ」
 先月、ダンナさんが亡くなったばかりだし、励ましの足しになればいいよな。
 もちろん、そのことはひと言も口には出さず、リンゴの良し悪しの話をした。
 「今年は不作なんで」どうのこうの。品種にはどうのこうの。
 リンゴより、こういう取り留めのない会話が慰めになることは、さすがにこっちもトシだから承知している。
 「江刺ってどこなんですか」
 「岩手ですよ」
 とかナントカ。

 ダンナが亡くなったら、このバーサンは僅かひと月ちょっとで、えらく老けた。髪の毛が真っ白だし、しぼんだような印象だ。
 農家のバーサンの割には(やや失礼だが)、きちんとした身なりをすると、なかなかイケてるバーサンだったが、さすがに見る影もなし。
 伴侶が亡くなると、相方は一気に老けると言うが、例にたがわずだった。
 男の場合は、連れ合いが亡くなると、「半年持たない」人もいる。日頃は偉ぶっていても、実際には妻に頼った生活をしているとそうなってしまうそうだ。亭主関白ほど脆い。
 病棟にいた旧帝大系の元教授は、奥さんを召使のように扱っていたが、奥さんも調子が悪くなりダンナの面倒が見られなくなると、あっという間に棺桶に入った。わずか三か月。
 でも、そんなもんだと思う。
 家人も「トーサンは私が死ねば半年持たない」と自慢げに言うが、当人も否定はしない。朝から晩までギャースカギャースカ煩くて堪らんが、それが先に死ねば、逆に静か過ぎて持たない。
 これが三十数年の重みだわ。