日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌 悲喜交々 11/9 「オバサン看護師に勝るものなし」

病棟日誌 悲喜交々 11/9 「オバサン看護師に勝るものなし」
 木曜に病棟に行き、問診の時に、足の不具合を報告した。
 まずは爪の取れた方から。
 恐らくはコロナの後遺症で、「やたら焦げ臭い」がしたと思ったら、「全身の倦怠感」が始まり、「肘と膝から先の感覚が消失する」。このため、爪が剥がれていることに気付かなかった。
 その間、痛みがまったく感じぬが、ニ三日で感覚が戻るので、おそらくは「ぶり返し」症状だ。全国に六千人くらいコロナ後遺症で動けなくなった患者がいるらしいが、当方はその下のグループらしい。ま、既往症がぶりぶりだからこれくらいは当たり前だ。
 「治療法は無いと思うので、別に平気です。問診表には『本人はたいしたことはないと言っている』と書いてください」

 右足の方は青黒く腫れているので、ウエキさん(オバサン看護師)は、「これは今日の内に形成で診て貰った方がよさそうだよ」と勧める。
 形成か。皮膚科なら美人女医(マジで)なので、すぐに行くんだがな。
 「考えて置きます」
 すると、ウエキさんは予定を見に日程を調べに行くと、たちまち戻って来て、「次の形成は二週間後で、そこは祝日だから、必ず今日行って下さい」と言う。
 「・・・」
 「行きなさああい」
 これがすっかり母親口調だ。
 「分かりました」

 形成外科に行くと、医師が一瞥して「切りましょう。ちょっと痛いですよ」。
 医師はすぐに鋏を出し、爪を根元からベッチベチと切り取った。
 腫れている箇所なので、かなり痛いのだが、当方は性格が「見栄っ張り」で「負けず嫌い」なので、涼しい顔で受け流した。
 患者生活が長くなり、痛みにはかなり慣れてはいる。
 爪の付け根の患部から血がダラダラと流れ出た。
 看護師が「すごく痛そうだけど。痛くないですか?」。
 さすがにこれには、「そりゃ痛いですよ」と答えた。
 化膿している爪を無理やり剥がしているわけだし。

 腎不全患者の場合、足の傷が最も怖い症状で、数日で腐敗がリンパに及ぶことがある。血流が悪いから、自力で修復できない。そうなると治ることがなく、たちまち「予後不良」で足切断だ。小学生なら赤チンを塗るだけで済む事態なのだが、動脈硬化ジジババには怖ろしい病気だ。
 実際、小さな傷が出来て、ほんの二日で足首までの色が青黒くなった。病棟には、数日で足切断に至った患者がいるそうで、医師看護師はほんのちょっとした赤味にも眼を留める。

 足を引きずりながら病棟に帰ると、ウエキさんが「どうでした?」と訊く。
 「切られましたね。でもどうも有難う」
 どうしても行けと言われねば、たぶん、行かなかったな。
 十歳以上年下の看護師に叱咤されるオヤジジイだった。

 持病アリはこんなもんだし、この繰り返し。
 体の各部が順繰りにおかしくなり、徐々に弱って行く。
 向かいのSさんという80台の患者は、ついに入院病棟に移ったようだ。そこから車椅子で病棟に来る。程なくベッドで来るようになり、いずれ来なくなる。
 七十五歳を越えてからここに来る人は、既に全身が弱った末に来るから、概ね半年はもたない。癌や循環器の梗塞などで死なぬ場合は、最後は必ず肺か腎臓の病棟に至る。
 Sさんは二年くらいいるから、かなり頑張った方だと思う。
 もう一人七十台で三年以上もっているジーサンがいるが、血中酸素飽和度が85%だ。かなり息苦しいはずだが、ボンベを付けず平然としている。「もう私は結構です」。死を受け入れるつもりになっている。

 ま、高齢者でこの病棟に来る患者は、急行か時としては新幹線並みの速さで去っていく。多くは三か月から半年だ。三か月なら覚悟は固まらない場合があり、「死にたくない」と叫ぶ者もいる。苦痛が増して来ると、今度は「早く死なせて」と叫ぶ。


 当方は七八年前に「お迎え」に会った時から、正直、既に「余生」に入っていると思う。新しいことはやれず、過去に出来たことももはや大半が出来ないわけだが、今出来ることを淡々とやればよいと思う。既に自分の死を恐れたり悲しんだり嘆いたりする気持ちは無くなった。その分、時間的余裕を貰ったからここに至った、ということだが、依然として生きるための努力や苦労が必要になっている。命や経済のやりくりは大変だが、喜怒哀楽の総てが「生きている」ってことだと感じる。
 どういうかたちでも、「生きていること」「生き続けること」には、きちんと意味がある。
 これは、実際に「死にゆく人々」を百と言わず見て来たから感じることだと思う。