◎病棟日誌 悲喜交々 7/4 「どんどん時が過ぎる」
いまだ平地を歩くのも覚束かぬ状態で、改善傾向はマイクロレベル。
眼の方は相変わらずで、左眼の方が症状がキツいので、殆ど右眼だけで見ている。昔で言う「ちか眼」の状態になってしまうかもしれん。
体重計側の時に、本人確認のため自分の名前を言うのだが、ベテラン患者なので顔と名前は誰もが承知している。
そこでふざけて、昔の有名人の名前を言うことにしている。
これが計量の度ごとなので、口にする名前が何十人、何百人になって行く。そうなると、使っていない人を探すのに苦労する。
この日の計量担当は五十台のウエキさんという女性看護師だったので、それくらいの人でも知っていそうなタレントの名前を探した。
「本郷直樹です」
するとウエキさんは「誰ですか。それ」。
えええ。知らんのかいな。
「ほれ。郷ひろみとか西城秀樹さんの頃のアイドルタレントですよ」
「知らないなあ」
げげ。五十台前半でももはや年齢層がずれているのかいな。
ここに、オヤジ看護師のタマちゃんが通り掛かった。タマちゃんは五十台半ばで、北海道の漁師町の育ちだ。
「タマちゃんは本郷直樹さんって憶えている?」
オヤジ看護師はそこで足を止める。
「うううん。知りませんね」
「ほれ。伊丹幸雄と同じくらいの世代の」
するとタマちゃんが言う。
「伊丹幸雄も知りませんねえ」
ゲゲゲ。そうなると、このタレントたちを知っているのは、もはや六十歳くらいから先の者だけなのか。
俺はかなり齢を取っているぞ。
気になったので、「本郷直樹」さんのことをネットで調べてみた。
きちんと、「歌手」で出て来る。
当方の妄想の産物ではなく、実在していたということ。
今はどうしているのかと検索すると、本郷さんは、一昨年に七十一歳で亡くなられていた。
まだ五十歳の時に脳内出血で倒れたのが最初で、病気を繰り返していたそうだ。循環器系が弱かったようで、最期は心筋梗塞だったそうだ。
五十二三歳くらいの時には腎臓透析を始め、七十歳の時には左足を切断。血管がもろくなっていた。
この辺、医者は「糖尿病で」などと言うかもしれぬが、五十歳で脳出血したなら、その後は用心に用心を重ねている。
周りで当事者たちを見ているから想像がつくが、「はっはあん。脳の治療の時の造影剤で」だと思う。
「糖尿病(の治療薬)」とか、「循環器治療(の際の造影剤)」の影響については、医師はあまり語らない。
「生活習慣病」ってのは本当に笑える。医師が訴えられぬようにするための口実だな。
七十歳など、ちょっとまえまで「自分には永遠に来ない」と思っていたが、そんなに遠い未来でもない。若い頃に思い描いていた通り、「俺が七十歳になることはない」と思う。
当方はとっくの昔に「賞味期限切れ」だから、来年どころか今年だって越せるかどうか。六十五歳など夢のまた夢だ。
ま、原稿を書き始めたので、精神状態はよい。
生きてゆくには、明確なテーマが必要だ。
画像はこの日の病院めし。
食事の量は「幼稚園児のお弁当」だ。ご飯だけ園児弁当より十五%くらい多いと思う。
茄子のカレーはスパイスの香りはするが、殆ど辛くない。そこは入院患者に出すものと同じ。
しかし、日常的に薄味の食事を食べ、それに慣れて来ると、「薄い」と感じなくなる。
帰路、スーパーに寄ったら、やはり足元がおぼつかなくなった。食事の後が一番ダメで、とにかく座りたくなる。
ま、ナノレベルでは改善されていると思う。
人間に必要なのは「きぼう」だと痛切に感じる。
「きぼう」をひと言も語らぬのが岸田と立民。まさに同族だな。
繰り返し嫌と言うほど記すが、「政治家の務めは夢を語り、人々に希望を与えること」だ。
この姿勢がまったくないから、こいつらは政治家に向いていないと思う。
追記)小学生でも「岸田総理は、海外にはあっさり金をやるのに、国民には何もしない。増税だけ」と言う。これは岸田総理が、「将来のための増税」という漠然とした言い回しだけしかないことによる。
では、その「将来」とは何なのか?
誰か解説してくれよ。
早く岸田を下ろして、別のまともな「政治家」に替えてくれ。
ま、与党の揚げ足取りしか頭に無いどこかのの野党よりはまし。そっちのの党首同然は小西と言えばあそこだ。
岸田もその野党にもビジョンが何もない。
あの野党は次の選挙では消滅させて。もちろん、「自称憲法学者」も連れて行け。あいつは参院だが、参院は任期が長すぎる。税金の無駄とはアイツのこと。