日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌 悲喜交々 「象の最期」

◎病棟日誌 悲喜交々 「象の最期」
 ベテランになると、血圧が著しく降下するようになる。
 100を切ると、一気に下がることがあるから、機械を停止し、様子を見ることが多い。
 血圧の乱高下の影響で、血管に血栓が出来ることがあり、患者のガラモンさんは、ほんの数十分で大動脈が全部塞がり、血が回らなくなって血圧が50に下がった。
 周りの看護師も、医師も、移送されていった先の専門病院の医師も「もう助からない」と思ったそうだ。
 当方のもはや七年くらい経ったので、もはや大ベテランだ。
 同じ頃に入棟した患者は、もはや数人だけ。
 やはり時々、血圧がやたら下がる。

 この日は前半は割と普通だったが、ベルを境に状況が変わった。押してもいないのに、当方のベッドの呼び出しベルが鳴ったのだ。
 師長が来て「どうしました?」と訊くので、「別に何も」と答えた。
 「じゃあ、偶々肘が当たったのですね」
 「ま、そんなもんんでしょ」
 だが、ボタンは下を向いて下がっていたから、肘が当たっても押せない。そこで冗談を足した。
 「誰かが俺の代わりに押したんじゃねえか」
 「またまた。勘弁してくださいよ」
 師長にはデロデロの画像を見せたことがあるから、反応が早い。

 だが、ほどなく具合が悪くなって来た。
 血圧は100の上下を行き来している。
 これが80を切るようになると、覿面に苦しくなる。
 体の位置を変えたいが、治療中は姿勢を変える程度だし、この時には遠赤外線療法を受けていた。これは下肢を温めて、血行を良くする療法だ。五センチも体勢を変えることが出来ない。
 そのうち、本格的に苦しくなって来たが、それとほぼ同じ頃に隣の患者が呻き出した。
 隣の患者は七十歳くらいで、かなり弱っている。がん検診でも引っ掛かっている。
 当方と同じことが隣の患者にも起きているのだった。

 すぐに看護師がやって来て、患者に訊く。
 「気分が悪いですか」
 「ああ」
 (隣で当方も「俺も」と心の中で返事をした。)

 「冷汗が出ていませんか?」
 「・・・・」(苦しいので返事が出来ない。)
 (「出てる出てる」。)

 「お腹が気持ち悪くなっていませんか?血圧が下がると便意を催す人がいます」
 「・・・・」
 (「俺はトイレに行きたい」)
 すっかり症状が当て嵌まっている。低血圧症だ。

 ここで当方は象のことを思い出した。
 老衰や病気で死に間際に来た象は、水辺に着てそこで一生を終える。最期の時が近づくと、体内の便やら尿を全部外に排出して死ぬから、倒れた象の隣には便の山が出来ている。
 「いやはや俺もそうなりそうだ」
 今回はマジでヤバいかもしれん。

 そう言えば、今朝方に夢うつつの時に声を掛けられたのだった。
 「危ない」「危ないよ」
 これはこういうことか。
 取り越し苦労ではなく、実際にこうやって病棟から消えた患者が沢山いる。ガラモンさんは唯一戻って来たが、他は帰って来なかった。

 看護師たちが大わらわで隣の患者の世話をしているので、「俺も具合が悪い」とはなかなか言いづらい。
 しばらく悶えていたが、やっとエリカちゃんが来たので、とりあえず機械を止めて貰った。
 その後、静かにしていると、起きられるようになったので、着替えをして病棟を出た。
 歩くのはしんどいから、真っ直ぐ帰宅した。

 除水の量やスピードによって、体内のバランスが崩れて血圧の低下が起きることがあるから、次からは遅くして貰うことにした。だが、治療時間があまた増える。ゲンナリ
 ほとほと閉口するが、死にかけの障害者だし、ま、こんなもんだ。

 お迎えがこの病棟に来ても、とりあえず当方の隣には当方よりもヤバそうな患者がいるから、まずはそっちが先だろ。
 これが個室だと、逃げ道は窓の外しかないし、見間違える相手もいない。やはり、当方よりも先の無さそうなジジババ患者の隣のベッドにいることにした。