日刊早坂ノボル新聞

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◎病棟日誌「悲喜交々」11/22 「後ろを見ずとも入れられる」

病棟日誌「悲喜交々」11/22 「後ろを見ずとも入れられる」

 病棟のベッドに横になっていると、栄養士の女性がやって来た。五十台の花巻出の人だ。

 「こないだ、盛岡で走って来ました」

 そう言えば市民マラソンがあると言ってたな。市内から繋温泉まで走るやつだ。

 (こりゃ長くなるぞおう。)

 盛岡のどこを走ったという経路が分かる相手は、さすがにこの病院にはいない。

 リアルな体験を話したいから、相手は同郷の私になる。

 もちろん、ひとの話を聞くのは嫌いではないし、それが商売でもあった。

 この時期、このご時世で、三千人を超える人が道路を走るのはすごい。とりまとめが大変だったろう。

 ショートマラソン(名称忘れた)は、8キロのところを主催者側が計測を忘れ、1キロ短かったそうだ。

 途中で飲み物を取ろうとしたら「コーラだったのよ」。

 マラソンで「コーラ」は確かアリで、炭酸を抜いたヤツは甘味があるから、水分とエネルギーを同時に摂れるんだったな。

 でも、炭酸が入ったものだったそうだ(たぶん)。それでは走れなくなる。

 などと延々、三十分以上話した。

 チミチミ、仕事はいいのか。

 

 「次は短い方を走ってはどうですか?」

 「私は百㍍も走れませんよ。五十㍍だって危ない」

 これが現実だな。

 そこで話が終わりにならず、「はっと」とか「かっけ」「黒豆」の話をした。黒豆なら郷里では「雁食」だから、少し豆の説明をした。小学生の時に豆俵を担いだ話をすると、「小学生に60キロは無理では?」と言うので、「肩には担げないが、持ち上げるのはコツがあって、そのコツを覚えると誰でも出来る」と答えた。

 イケネ。私の方が話を伸ばしてら。

 小一時間もいて、ようやく別のところに回ったが、肝心の栄養指導の話はひと言も無かった。

 

 その後、師長が来て、「バイクで転んだ時の傷が痛む」とこぼした。五十台なのに秩父の山道を攻めて転び、肋骨と鎖骨を折ったのだ。

 それが半年前だが、骨は繋がっても「まだ痛い」そうだ。

 バイクと怪我の話なら、やっぱり嫌いではないので、「湯治に行けば少し良くなる」と教えた。

 一週間浸かるだけでだいぶ違う。

 で、その先は「どこの温泉、湯治場がよいか」という話になる。

 あの時この時とまた長話をして、さらに三四十分が過ぎた。

 今日は映画を二本観ようと思っていたのに。

 

 病棟に「地蔵」みたいに固まっているバーサンがいたが、この十日くらいの間に消えていた。ついにお迎えが来たのか。

 いつも無表情にじっと固まっているから、前に一度、悪戯心を起こして、二十㌢くらいの距離まで顔を近づけ、「元気ですかあ」とやったことがある。すると、なんとバーサンはきちんと聞こえていたらしく、普通に返事をした。

皆が思うような「もうろくババア」ではなかったらしい。

 もう一人、愛想の良くないジーサンが居るのだが、左耳が聞こえないらしく、こっちも会話がトンチンカンになる。

 オバサン看護師とは「※※ですかあ?」「はああ?」のやり取りを繰り返す。

 だが、たまたま今日エレベーターに乗り合わせたら、三十台の女性と普通に話をしていた。しかも流暢にだ。オイオイ。

 若目の女性となら、別のスイッチが入るらしい。

 ま、私だってそうだけどね(w)。

 

 画像は朝、駐車場に車を入れる時のもの。

 週三回、五年以上、同じスペースにバックで入れているので、まったく後ろを振り返らずにさっと一気に入れられる。

 今日はかなり際どい隙間だったので、我ながら「スゲー」と感動して、写真を撮った。一度も振り返らず、目も向けず十数㌢の間合いだ。

 しくじらなくて良かった。ラッキーだっただけ。

 

 感動してすぐに撮影したが、後の画像には、何だか煙が出ていた。

 ま、空(雲)だと思うが、少し油断していた。

 なんか車の中に人が乗ってねえか。別に今さら驚かんが。

 

追記)後部座席に「女」と「子ども」が居る感じ。さらに煙の中にはもやもやと蠢いている気がする。ちなみに、駐車場の後ろは建物だ。