◎古貨幣迷宮事件簿 「年末盆回しの品評 その1」
これから十二月にかけて、再び在庫処分を行う予定だ。先輩より、「穴銭は必ず戻るので過度の値引きをしないように」という意見をいただいたので、今回、値引きなどはない。不要になったからと言って下げていては、既存の所有者に迷惑が及ぶということだが、なるほどその通りだ。経済が安定すれば、必ず穴銭評価は元に戻る。
ただ、それでは面白味に欠けるので、年末でもあり、少し趣向を凝らすことにした。
「懸賞つき」だ。品物に対しポイントを付け、そのポイントに応じた選択権を付与する(概ね選択出来る順番)。二重抽選にして、操作できぬように設定し、当選すれば商品が貰える。詳細は週明けまでに「古貨幣迷宮事件簿」に開示する。
割と面白い品を付けるつもりなので、運が良ければそれが転がり込むかもしれぬ。
ポイント制以外は、通常の「盆回し」と同じで、競合相手が居なければ下値落札。居れば最高値の人が購入権を得る。申し込みが止まったところで終了するが、概ね三日から一週間で締め切りとなる。
以下は今回再登録品の品評になる。
X01 大福二神 三枚組
前回売れ残ったおかげで発見があった。
大型の銅銭を見ていると、「山砂製の砂笵」によるものだと気が付いた。穿には二面に刀が入っており、他二面は中央が盛り上がっている。質の悪い山砂を使用していることで、南部地方のもので、かつ輪穿に一定の加工処理をしていることから、鉄銭用の母銭である。左の直接の子銭ではなさそうだが、鉄銭が存在しており、地金を見る限り、軽米地方のたたら炉製のように見える。ただ、面側に砥石をかけたような跡があるが、母銭や鉄銭にさっと砥石をかけることがあるのは、浄法寺周辺の固有技法だ。
母銭を研ぐのは、鉄材の節約を目的としたと理解できるが、通用鉄銭にも砥ぎを入れたものがある。こちらはいまだ理解不能だ。鉄銭は「出来たきり」のことが大半だ。
実際に作れば、どう変化するのが分かると思うが、鉄の鋳造は熟練を要する。
X02 寛永一文 舌千大字 母子組
八戸領の有名寛永銭のひとつで、母銭は何十万枚見ても見つからなかった。舌千小字など他の八戸銭種は地元のウブ銭をあたれば何万枚かのうちに拾えるのだが、この品は収集家の品を買うより入手機会が無い。
通用銭の方は別の理由で入手困難だ。鉄銭は表面が荒れ、特徴の判別が困難で、それと分かる品を拾えない。この銭種では表側の特徴が薄いので、裏面頼みになるのだが、裏は抜けが悪く不鮮明なことがほとんどだ。母銭を持っている人はいるが、通用美銭を持つ人は少ない。
今回は整理中途の鉄銭をブック一つ分おまけにつけることにした。
鉄銭に興味を持たぬ者には「ただのクズ銭」だが、興味を持つ者は重宝すると思う。
銭種として普通の品には、何かしら変化が入っている。
X03 寛永一文 目寛見寛座 四年銭鋳写し母と通用鉄銭
この品について反応が薄いのは、たぶん、「千無背に見えたから」だと思う。
結論から言うと、目寛見寛座にこの仕様の「千無背鋳写し母」は存在しない。
書体はそもそも石巻小字背千が江戸の公営銭座の銭にならったものなので、極めてよく似ている。当四銭の削頭千が深川俯永の配置と95%以上一致するのは、これまで確認した通りだ。拓本を採り、それを下書きに彫金したから配置が一致するわけだが、手彫りなので小異が発生する。
目寛見寛座は、葛巻の職人が二戸に移動して開座したものだから、葛巻小字背千の母銭を幾らか持参したようだ。目寛見寛座の母銭は、葛巻背千を踏襲したものと、新規に一般通用銭から鋳写し母を作り(原母に当たる)、これで汎用母銭を作ったもの、の二通りある。
この場合、前者については既に規格が完成しているので、サイズの調整しか加える必要が無い。よって、目寛見寛座の背千、千無背とも、「薄いつくり」なっている。厚さの調整が試みられていないわけだ。
かたや、鋳写し母を経た系統は、厚さの調整と輪側の研ぎの両方が加えられている。
この場合の研ぎには、鋳銭でよく用いられる粗砥ではなく、鎌や包丁を研ぐ時のきめの細かい砥石が使用されているから、角が立っている。
簡単に言えば、目寛見寛座「固有の銭種」という見地に立てば、銭径と輪側を見るだけで、判別できることになる。
さらに、目寛見寛とまったく同じ銭容を持つ背千類は、存在しない。繰り返しになるが、理由は「鋳写し母を経る必要が無いから」ということだ。背千類の鑑定は、輪側の処理法に着目して行うことになる。
逆も成り立ち、「鋳写し母」を中間に経ていることで、「背千ではない」可能性の方がはるかに高くなる。
すこぶる簡単な話だ。
鉄銭の方は、おまけ用の未分類鉄銭を見ていて気が付いた。ちなみに確定分類ではなく「ではないか」の範囲なので念のため。
「目寛見寛座 千無背か」としてあったのだが、よく見ると、銭径が著しく小さい上に、厚く仕立て直していた。葛巻背千類から派生したものであれば、「広穿細縁」のように、「小さく薄い」変化に向かうことになるのだが、そうなってはいない。
あと何年かあれば鉄銭を探せそうな気がするが、既にその時間が無いのが残念だ。
そもそも、四年銭系統の鋳写し母の現存数はこれ一枚だけらしい。
ま、背千からの鋳写しを繰り返す方法では、「この品は出来ない」ことに気付けるところまで、八戸銭の研究は進んでいないし、周知されていない。
南部の鉄銭については、地元の人でも、栗林や橋野の区別がつかないのが現状だが、それもその筈で、誰も『岩手に於ける鋳銭』に目を通しては居ないのだった。
やや辛辣な言い方だったが、K村さんならもっと厳しい言い回しをしたと思う。
注記)一発書き殴りで、推敲や校正をしないので、難はあると思う。現状ではここまで。