日刊早坂ノボル新聞

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◎密鋳鉄銭に関する質問と回答  その3

 

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◎密鋳鉄銭に関する質問と回答  その3

(3)密鋳背千の系統

<質問>

 最後は、小字背千の写しについてです。サイトなどに書いてあったことをまとめてみました。小字写しは「葛巻銭座(=鷹巣銭座)」「二戸銭座(=目寛見寛銭座=藤八銭座)」「軽米大野銭座」「別座」で密鋳されていて、葛巻では「舌千」「十字千」「直写し」、二戸では「直写し」、軽米大野では「直写し」、別座では「広穿」を鋳造。葛巻直写しは蒲鉾型で荒砥で宝前足が弱い物が多く、二戸直写しは垂直で中砥、軽米直写しは若干濶縁で鋳不足が多い事が特徴。合っているか不安です。もっと分かりやすいポイント、間違っている点など、教えていただきたいです。

 

<回答>

 これまで示して来たのは、長期間にわたる観察を経て経験的に得られた知見ですので、文言で「これはこういう特徴」と書くと、少し違うことになってしまいます。

 このため、最初は前置き(前提)から始めます。長くなりますが、三十年分ですので致し方ありません。

 

 まず「たたら炉」について理解する必要があります。

 たたら炉は土や粘土で「窯」を拵え、そこに炭と砂鉄を入れ、「鞴(ふいご)」で風を吹き込んで、熱量を上げ溶解します。熱を閉じ込めるのが難しいのと、砂鉄は不純物の影響で溶解温度が高くなるため、炭を大量に消費します。

 種市(洋野町)資料館の資料には、「鉄銭の密鋳には、ひと吹きに山ひとつの木材を使用した」と書かれています。要するに、周囲一帯の樹木を切り倒して、それで炭を焼いて準備したということで、常識的には鋳銭に入る前準備に半年以上かかります。

 また材木が無くなってしまうので、同じ炉を使用するのは「一度きり」となります。一度終わると、その炉は壊して、別の山に向かいます。

 

 菅原秀幸著『南部密銭史』.によると、「軽米大野地方の密鋳銭座は800か所(数値はうろ覚えで、要するに「たくさん」) はあった」と書かれています。

 「銭座」と言うと、工場のようなものをイメージしますが、鉄銭の密鋳銭座は、一つひとつの「炉」のことを指します。よって「たたら炉」の特質上、数がやたら多くなります。

 葛巻鷹巣鷹ノ巣)銭座も、「銭座」と書かれますが、一箇所ではなかったようで、鷹巣から多々良山までの一帯に、炉の跡が点在している模様です。

 (そもそもきちんと「たたら山」として知られています。)

 

 よって、高炉や反射炉を使用した銭座を眺めるように、「どこの銭座でどういう銭を作ったか」という観点で見ると、少し実情とは違ってくることになります。

 「たたら炉」をひとつの鋳銭単位としてみれば、北奥全域で「一千を優に超える」数があったことになります。

 葛巻や二戸では割とと大掛かりな鋳銭を行われているのですが、密鋳銭全体に占める割合は総体的に小さかったと見るべきだろうと思います。

 繰り返しになりますが、密鋳鉄銭は各所で作られて来たが、「鋳所の分かるものもある」ということです。鷹巣のように職人を千人も雇えば、何らかの活動の痕跡が残るわけですが、小吹密鋳については、現地を訪ねて発掘しない限り、各々の状況の把握は困難です。

 あくまで「分かり得るのはごく一部」だと思う必要があるのです。

 

 前述の菅原氏の業績や、小笠原吉亮(白雲居)の『南部鋳銭考』といった資料があるのですが、個々の「炉」について記されることが多いので、丁寧に目を通すと、逆に掴み難くなります。

 系統的に整理する必要があるわけですが、これはまだほぼ未開拓というのが現状です。

 私はたまたま葛巻町に遠縁の者がおり、仲介者や役場を通じて、旧家の蔵に入ることが出来ました。その時の資料や、葛巻周辺で発見される母銭・鉄銭の状況から見て、ある程度類推することが可能になったのですが、それもあくまで類推の範囲です。

 ただ、「母銭の差し銭の大半が石巻の直写しであったこと」、「中心部から出る鉄銭(差し銭)に目寛見寛類がまったく入っていないこと」等で、鷹巣の中軸は「(石巻直系の)小字背千」だろうとみたわけです。

 目寛見寛類が混じっているのは、バラ銭のことの方が多いです。

 

 その他の銭種については、実は「よく分かっていない」というのが実情です。

 母銭の状態からみて、「舌銭類」は鷹巣銭に最も近いのですが、「目寛見寛類」とは相違が大きいので、同じ職人が同時期に作ったとは思えません。

 母銭でもそうなので、鉄通用銭は、個々の型を見極めることずら難しくなっています。

 まずは、なるべく確からしいものを基準に、それと類似したものをグルーピングして行く他に手段はないように思われます。

 

 例えば母銭の「輪側の仕上げ方」ひとつ取っても、「鷹巣小字背千」と「目寛見寛類」は違っています。あくまで「必要に応じて」そうしたのでしょうし、他での密鋳に転用された場合もあるのでしょう。まさに「あれこれとある」=「常に例外がある」という状況です。

中間的なものも存在しており、雑多に見えるわけですが、相違の大きなものを抽出し、これを分けてみると道が開けるかもしれません。

 

 古銭を収集する人の大半は「型分類」を志向(嗜好)して居り、「どの銭座でどういう銭種を使用して居り、それにどんなヴァリエーションがあるか」を探します。

 しかし、北奥の密鋳鉄銭については、その発想法では太刀打ちできません。

 銭座(たたら炉)は「幾つかの限られたところにあった」のではなく、一千に及ぶ数が存在し、そこで、ほとんど同じような銭種が作られています。

 「銭座ごと」という視角だけでなく、「職人団」という眺め方をする必要があると思います。

 

 このジャンルで、「文字の小変化」や「点や鋳溜りの有る無し」を見ようとしたら、あっという間に銭種が五百種八百種に到達してしまいます。

 

ここからが本題です。

<科学的観察の基本は「分化と統合」であることを肝に銘じる。>

 「分化」と「統合」は、「相違点」と「共通点」と読み替えても良いですが、方法論的には、実は同じことを指します。

 収集には様々な要素があり、その中でついつい「珍銭探査」に目が向いてしまうのですが、それも理解あってこそ。まずは「全体像を眺め、次にその中の要素各々について、どのように特徴が別れているか」という流れを持つことが重要です。

 

<これからの収集と整理の進め方>

 質問を読んだ限りでは、まず次のことから始めるのがよいと思われます。

1)なるべく石巻銭と密鋳銭を分ける。

 「なるべく」と書くのは、小字背千の場合、粗雑な出来が多く、分かりやすいものもあれば区別がつかないものもあるということです。実際には分けられないものが沢山出て来ます。

 

2)密鋳銭の中から、目寛見寛銭を拾い出す。

 銭径やつくりの面の「独立性」が高いので、拾いやすいと思います。

 ただ、入札やオークション等で単品を集めても、あまり意味はありません。

 雑銭の中から拾って下さい。幸い、鉄の雑銭は割合安価に入手出来ます。

 

3)目寛見寛とそっくりな銭径、輪側の立ち方をした背千その他の銭を探す

 石巻銭と比べ極めて小さいものが見つかりますが、銭容はさまざま。

 背千だけでなく、一般銭の写しもどんどん出て来ると思います。

 この時点で、「これは見たことが無い」と思える品が続々出て来ます。

 そこが密鋳銭の醍醐味です。

 

 これで、概ねイ)葛巻銭 ロ)目寛見寛座銭、ハ)その他の密鋳背千、ニ)ひたすら出来の悪い品、に大別できると思います。この中で最も多いのが「ひたすら出来の悪い品」になります。

 

<来るべき困難>

 鉄銭研究を放棄したくならないためには、まずはご質問の考え方を捨てることからです。このジャンルで読みやすく分かりよいテキストはありません。これまで誰一人として詳しく研究してはいないのです。

 しかし、その分、何かしら発見できた時の喜びが大きいです。

 

 これから鉄銭研究の道に進もうという貴下に訪れる困難は次の通りです。

A)来る日も来る日も石巻銭の山に当たる

 背千一文鉄銭は、割と安価に手に入ります。一枚単価7円から十円も出せば入手できますし、ひと山幾らで買える銭種です。(ちなみに、当四銭は銭種が様々あるためか@35円くらい。)

 ところが、多く9割以上が石巻銭です。

 きっと「また仙台銭かよ」と悪態を吐くでしょう。そもそも南部と伊達は仲が悪いので、南部側としては、ここで叫ぶところ。

 

B)目が悪くなるわ、手が痛くなるわ、に。

 鉄銭は見難いので、目が非常に疲れます。状態も悪く、面文がよく見えません。

 おまけにヒ素が混入していたりするので、指で直に触ると、すぐに荒れて痛くなります。

 最初にある程度錆を落とし、これという品は撮影をして拡大せざるを得ない。

 もの凄く手間が掛かります。

 

 それでも、何千枚と触っているうちに、錆の付いたままでも微妙な違いが分かるようになります。

 南部古泉会長だった昆さんが、削頭千濶縁無背の鉄銭を拾った際には、「錆落としを掛け、乾燥させるために、何百枚かをシートにぶちまけたら」、一枚だけオーラを放っているように見えたそうです。

 昆氏のように現存一枚の品が発見できるかもしれません。

 こと密鋳鉄銭となったら、新種発見は山ほど可能です。

 何せ、寛永銭譜にはほとんどの場合、「密鋳背千」という一枚拓しか掲載されていません。

 

 とまあ、記述は長いのですが要点は簡単です。

 今あるのは断片的なヒントだけなので、観察眼は「これから収集を進める人が作ることになる」ということです。

 まずはここからだろうと思います。

 

 最後に、前にも掲載したと思いますが、理解不能な鉄銭を掲示します。

 地金からして面白いのですが、反応はほとんどありません。

 地元の人も鉄銭を詳細に観察している人は少ないようで、「単に出来の悪い品」に見えるようです。

 でも「出来の悪い」のは、その人の「経験値」だろうと思うので、その後は解説をしません。

 最後は毒で締めて置きます。

 

 (いつもながら、一発書き殴りで、推敲や校正をしません。不首尾は多々あると思いますが、今、もっとも重要なのは、自由に使える時間ですのでご了解下さい。)