日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎迷子の迷子のC国人(541)

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令和二年十一月十二日撮影

◎迷子の迷子のC国人(541)

 ちなみに表題は「迷子の子猫チャン」の節だ。

 郵便局に書留を出しに行くと、局から道に出たところで呼び止められた。

 「スイマセン」

 たどたどしい日本語だ。外国人だな。きっとC国人。

 40台半ばの女性だ。

 「ここどこ?」

 手に持った紙を指で示す。どうやら地図のよう。

 「※※※※。※※※※」

 会社の名前を連呼して、住所を示す。

 丁目や番地を言われても、郵便局の近くに住んでいるわけではないから、さすがに分からない。

 

 「ちょっと分かりません」

 そのまま立ち去ろうとすると、女性は「※※※※。※※※※」と連呼する。

 その時の表情が、何と言うか、実に「困っています」という顔つきだ。

 眉毛が富士山のように曲がっている。ほれ、ひとが困ったときに見せる「ハ」字型の眉毛だ。

 家人は方向音痴で、よく道に迷うが、そんな時も同じ表情をする。

 「仕方ない」

 郵便局の前に、地図があったので、女性から紙を借りて確かめる。

 すると、行き着けぬのも当たり前で、東と北の方角を間違っていた。

 「こっちじゃなくて、あっち」

 正しい方角を指差すが、女性は全然違うビルを指差して、「あれ?」「あれ?」。

 これで、本日二度目の「仕方ねえ」が漏れた。

 

 結局、女性を誘導し、目的のビルまで連れて行った。

 二ブロックほど歩かされる。

 C国女性は、ビルの名を見ると、顔に満面の笑みを浮かべ、「アリガト。アリガト」と言いながら去って行った。話せなくとも漢字は分かる。

 ここがC国とK国の違いだ。言葉自体は分からなくとも、C国人には意思の疎通が出来る。K国人は漢字が読めないから、それが出来ない。

 ま、K国人の場合は、意志の疎通も理解もしたくないわけだが。

 

 女性の背中を見ながら、少し考えさせられた。

 「日本人は、同じ日本人には冷淡なのに、何で外国人には親切にするのだろう」

 私なんか東京に出たての頃は、色んなところで道を訊いたが、皆が冷淡だった。

 道を尋ねただけなのに、いきなり怒鳴られたことが幾度もある。

 そのせいで、東京と京都生まれ育ちの者には、よからぬ思いを抱いている。

 「滅びてしまえ」と思うくらいだ。

 だが、そんな大都市の「田舎者に冷淡な人間たち」でも、外国人には愛想が良い。

 これは何故?

 

 相手が「お金を落とすお客さんだから」というわけでもないようだ。

 貧乏そうな外国人にも親切にする。

 少し考えさせられたが、さっきのC国人のあの如何にも「わたしは困っています」という表情なのではないかと思い付いた。

 日本人はあまり喜怒哀楽を表情に表さない。控えめで、どちらかと言えば無表情だ。

 ところが、外国の人は割と心のぅちが分かりよい。

 あの「富士山眉毛」ときたら。

 

 「もしかして、女房と結婚することになったのも、あの『困ってます』という表情を見過ごせないと思ったからかもしれん」

 うまくやられた(苦笑)。

 

 C国人女性は、たぶん、就職の面談に向かうところだったのだろう。

 時間通りに行かねばならんから、「あせっていた」ということだ。

 こういうのは、少し心が穏やかになる。

 ひとが善を説くのは、そのことで自身の気持ちが穏やかになるためだろう。

 そういうのは蓄積されるから、死後の状態には深く関わって来る。

 

 郵便局を出た後で、神社に参拝した。

 久々に赤外線カメラを使用したが、やはりあまり使わない方が良さそう。

 「霧」が写りやすくなるが、これはあまり気色の良いものではないし、他の人に説明もし難い。ほとんどの人には何も見えない。

 

 帰宅後、少し仮眠を取ったが、やはり夢見が悪い。

 珍しく夢の記憶も飛んでいた。

 日頃、「自分は病気で死ぬ」と思っているのに、「心臓病でもコロナでもなく、交通事故で死ぬ」と言われたような気がする。