




◎迷子の迷子のC国人(541)
ちなみに表題は「迷子の子猫チャン」の節だ。
郵便局に書留を出しに行くと、局から道に出たところで呼び止められた。
「スイマセン」
たどたどしい日本語だ。外国人だな。きっとC国人。
40台半ばの女性だ。
「ここどこ?」
手に持った紙を指で示す。どうやら地図のよう。
「※※※※。※※※※」
会社の名前を連呼して、住所を示す。
丁目や番地を言われても、郵便局の近くに住んでいるわけではないから、さすがに分からない。
「ちょっと分かりません」
そのまま立ち去ろうとすると、女性は「※※※※。※※※※」と連呼する。
その時の表情が、何と言うか、実に「困っています」という顔つきだ。
眉毛が富士山のように曲がっている。ほれ、ひとが困ったときに見せる「ハ」字型の眉毛だ。
家人は方向音痴で、よく道に迷うが、そんな時も同じ表情をする。
「仕方ない」
郵便局の前に、地図があったので、女性から紙を借りて確かめる。
すると、行き着けぬのも当たり前で、東と北の方角を間違っていた。
「こっちじゃなくて、あっち」
正しい方角を指差すが、女性は全然違うビルを指差して、「あれ?」「あれ?」。
これで、本日二度目の「仕方ねえ」が漏れた。
結局、女性を誘導し、目的のビルまで連れて行った。
二ブロックほど歩かされる。
C国女性は、ビルの名を見ると、顔に満面の笑みを浮かべ、「アリガト。アリガト」と言いながら去って行った。話せなくとも漢字は分かる。
ここがC国とK国の違いだ。言葉自体は分からなくとも、C国人には意思の疎通が出来る。K国人は漢字が読めないから、それが出来ない。
ま、K国人の場合は、意志の疎通も理解もしたくないわけだが。
女性の背中を見ながら、少し考えさせられた。
「日本人は、同じ日本人には冷淡なのに、何で外国人には親切にするのだろう」
私なんか東京に出たての頃は、色んなところで道を訊いたが、皆が冷淡だった。
道を尋ねただけなのに、いきなり怒鳴られたことが幾度もある。
そのせいで、東京と京都生まれ育ちの者には、よからぬ思いを抱いている。
「滅びてしまえ」と思うくらいだ。
だが、そんな大都市の「田舎者に冷淡な人間たち」でも、外国人には愛想が良い。
これは何故?
相手が「お金を落とすお客さんだから」というわけでもないようだ。
貧乏そうな外国人にも親切にする。
少し考えさせられたが、さっきのC国人のあの如何にも「わたしは困っています」という表情なのではないかと思い付いた。
日本人はあまり喜怒哀楽を表情に表さない。控えめで、どちらかと言えば無表情だ。
ところが、外国の人は割と心のぅちが分かりよい。
あの「富士山眉毛」ときたら。
「もしかして、女房と結婚することになったのも、あの『困ってます』という表情を見過ごせないと思ったからかもしれん」
うまくやられた(苦笑)。
C国人女性は、たぶん、就職の面談に向かうところだったのだろう。
時間通りに行かねばならんから、「あせっていた」ということだ。
こういうのは、少し心が穏やかになる。
ひとが善を説くのは、そのことで自身の気持ちが穏やかになるためだろう。
そういうのは蓄積されるから、死後の状態には深く関わって来る。
郵便局を出た後で、神社に参拝した。
久々に赤外線カメラを使用したが、やはりあまり使わない方が良さそう。
「霧」が写りやすくなるが、これはあまり気色の良いものではないし、他の人に説明もし難い。ほとんどの人には何も見えない。
帰宅後、少し仮眠を取ったが、やはり夢見が悪い。
珍しく夢の記憶も飛んでいた。
日頃、「自分は病気で死ぬ」と思っているのに、「心臓病でもコロナでもなく、交通事故で死ぬ」と言われたような気がする。