日刊早坂ノボル新聞

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◎「運に頼らぬロト7の攻略法」33 フォーメーション法からグルーピング法への転換 (その2)

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◎「運に頼らぬロト7の攻略法」33 フォーメーション法からグルーピング法への転換 (その2)

 

 さて、フォーメーション法を棄却したので、改めて基礎データから作り直すことになる。

 情報源は、各回の当選数字の記録しか存在しないから、もし何らかのバイアスがかかっていない場合は、無作為抽出となり、ランダムな分布となる。

 この「何らかのバイアスがかかっていない場合」とは、具体的には「胴元による不正が行われていない場合」という意味だ。

 日本の場合、米国のように「当選者が現実に存在する」ことを証明するために、当せん者の氏名と顔を公表することをしない。これはその当せん者が強盗被害の対象にならないように計らう配慮なのだが、実はこれが不正の温床になり得る。

 もし胴元が不正を行うのなら、これは簡単にできる。

 当せん数字が決定した後で、1等から6等までの当せん者を決定し、コンピュータで当せん金の計算をするわけだが、その際に1等(もしくはその他の等級)の振り出し口数を増やせばよい。要するに架空の当せん者を創出するわけだ。

 単純に当せん番号に対し当せん者を作り出すと、「売り場」の情報が欠落する。

 「宙から湧いた」ことは、調べれば分かるから、それを回避するためには、現実になぞらえるのが簡便で、かつ露見し難い。

 当方が「悪徳胴元」なら、現実に当せん者が出た売り場の口数を「もうひと口増やす」という捏造を行う。実際には一人だが、幽霊がもう一人いて、そいつが懐に当せん金を入れることになる。

 脱線したが、もし当せん金の振り出しを操作すると、必ず統計的な不自然さが残る。

 これは「売上(販売口数)」と「当せん本数」、「売り場」などの分布を突き合わせれば、簡単に分かる。

 

 さて、本題に戻ると、基礎データは、「抽選回」ごとの「当せん数字の有無」しか存在しない。各「抽選回」の「当せん数字」の発生割合は「常に7/37」だから、表頭を「抽選会」表側をサンプル、すなわち「数字」とするイチ:ゼロの数表が総てとなる。

 この場合、当たり前の話だが、サンプル間の相関関係は「まったく出ない」。

 通常、統計的解析を加えるにあたっては、何らかの「確からしさ」を元に、規則性を見出していく道順を採るのだが、その方向では進路を見出すことが出来ない。

 応用面での展開は、統計的な「確からしさ」とは、逆の方向性を持つ。

 ここで手本となるのが、「13番目の赤」の理屈である(理論ではない)。

 

(2)「13番目の赤」の選択

 「統計と確率」の応用に関する説明で、必ず用いるのが、この「13番目の赤」というストーリーだ。(応用法だから理論でも仮説でもないので、念のため。)

 この話は割と有名だが、既に伝説であり、根源となる事実は既に失われていると思う。

 

 これは「ラスベガスのあるカジノでの話」だ。

 ルーレットでは、客は赤と黒、またはいずれかの数字、数字のグループに賭け、それが的中した時に、既定の倍率の報酬が貰える。

 この場合、色での賭け(ベット)は、赤と黒の2種類しかない。

 確率論的には、赤と黒のいずれに賭けても、掌理の確率は50%弱だ。

 「弱」になるのは、「00」という無条件で親の総取りとなる数字が存在するためだ。

 

 さて、赤と黒しかないのだから、同じ色に賭けていれば、常に「勝ったり負けたり」を繰り返す。勝利確率も常に50%弱だ。

 賭け金を一定にし、「買った時には半額を下げ、負けた時には倍付をする」方法を取ると、概ね回収できる理屈だが、現実には「00」というテラ銭があるから、資金を多く使う割には回収率が上がらない。その意味では上手く出来ている。(「0」または「00」はカジノの設定によって違いがある。)

 だが勝利確率は50%に近い。当たるか外れるかだ。

 

 この確率はどこまで行っても同じだ。次に出る色は、赤か黒なので、確率は「常に50%弱」となる。

 それが50回目だろうが、百回目だろうが、次の出現率は赤も黒も同じ。

 ところが、同じ色が続けて出るケースは往々にしてある。赤が連続して出たり、黒に偏ったりすることは頻繁にある。大量に観察した場合、すなわち5千回とか1万回ほど試行するなら、全体的に赤黒とも「50%弱」の水準に近くなるだろうが、ある一局面では違う。

 同じ色が連続することも頻繁にある。

 しかし、いずれは「50%弱」に近くなるのだろうから、回数を重ねれば、反対側の色が必ず出る。

 その節目を経験的に眺めたのが「13回目」ということだ。

 そのカジノでは、12回連続して赤(または黒)が出たことはあるが、13回目はない。必ず別の色が出ている。過去の経験値がゼロを指している。

 そこで問題だ。

 「目の前で12回目の赤が出た。さて貴方は次に赤と黒のどちらに賭ける?」

 答えは二つしかない。

 ある人は、「過去に一度も出ていないのだから、次は黒が出る。黒に賭けよう」と思うかもしれない。

 別の人は「過去にどちらが連続して出ていようが、次の確率は常に50%弱になる。同じやり方を通すべき」と思う。

 さて、13回目にはどちらに賭けるべきか。

 

 従前は、円盤に球を投入するのに人の手で行ったが、熟練したディーラーなら、力加減で「どの数字に球を入れるか」を達成出来た。このため、13回目には、「0」または「00」が出る確率が高くなった。

 前者の考えに基づき、「13回目には黒に賭ける」人が異様に膨れ上がるためだ。

 その時に回収すれば、胴元は効率よく利益を上げられる。

だが、これが知られると、射出を機械自身が行うようになった。そういう工作が無く、偶然性を保てるのであれば、どの回の確率もやはり一定だ。

 この場合、確率論的思考と、統計論的思考を実践に移す場合、若干の相違が生じることになる。確率論的には「常に同じ」なのだが、局面的な「紛れ」は生じる。いずれも正しい。

 

 このため、「いずれは確率論的な水準に近くなって行く」ことと、「局面的には偏りが生じることもある」の双方を視野に入れて置く必要がある。

 

 ちなみに、「もし自分が13回目に何を賭けるか」と訊かれれば、迷わず「黒」と答える。

 「13回目の赤」が出る初めてのケースになるかもしれないが、「進むべき時に前に出ないと、何も得られない」のが勝負事だ。そこでの決定は、統計でも確率でもなく、「いずれかに腹を括って決める」ということだ。要は「言い掛かり」。 (続く)

 

注記)丁寧に書く時間が無く、推敲も校正もしませんので、念のため。不首尾(誤記)が発生します。