日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「通行霊」が脇を過ぎる(500)

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令和二年五月八日撮影

◎「通行霊」が脇を過ぎる(500)

 郵便局に所用があり、車で出発したが、局の駐車場が満杯だった。

 「こりゃ行列に並ばねばならないな」

 しばし考えさせられる。

 結局、地元の中央局をスルーして飯能のN郵便局まで行くことにした。

 一時間並んで待つよりも、同じ時間を移動して「待ち時間ゼロ」の窓口に並んだ方が得策だからだ。あそこなら「NO密」なわけだし。

 実際のところ、いつも通り「ゼロ秒」で受け付けて貰い、あっという間に用事が終わった。

 外出せざるを得ない時には、人のいそうなところを避ける手だ。

 

 帰路にも少し考えたが、やはりいつもの神社に寄ることにした。

 平日の午前中だし、参拝客が少ない。

 駐車場に車を入れ、参道を歩く。参拝客は数人ずつで、すれ違うこともない。

 

 手早く手を合わせ、数枚ほど写真を撮影して帰った。

 この時期は、割と気楽に自分の姿を確かめることが出来る。さしたることが起きないと分かっているためだ。

 私とは関わりのない人影がその場で写ることがあっても、肩に手を回されたりすることはない。

 都会の雑踏では、数え切れぬ人が脇を通り過ぎるが、自分とは関わりの無い人たちだから、気にする必要はない。挨拶をすることだってないのだ。

 

 画像を開いてみると、やはり「完全にゼロ」ではないようだ。

 最近はすっかり慣れたので、写真を撮る時に、周囲にいる人数やその人たちの特徴を確かめる。たぶん、刑事や探偵並みの注意力ではないか。

 この時には、直前に老夫婦がいたので、その人たちが去るまで数分待った。

 背後には、かなり離れたところに男性が一人いるだけだ。

 私が参拝する間は、視野に入ることは無い。

 

 画像には、不鮮明ながら、女性の姿が一人ずつ写っていた。

 階段を上って来る女性は、黒づくめの服を着ている。おそらく礼服だろうが膝丈のスカートを穿いている。

 髪は胸元までで、顔の表情は見えないが、それで良かったと思う。たぶん、あまり良い表情ではない。

 二枚目には、背後にマスク姿の女性の上半身が写っている。

 これも注意深く見ないと分からぬが、私は何百回もここで撮影しているので、樹木や建物の影がどのように出来るかを承知している。

 こういう影は偶然には出来ないものだ。

 

 いずれも景色に溶け込んでおり、仮に鮮明であっても、誰も不審には思わない。

 ごくありがちな情景になっているのだが、しかし、その人影は現実には存在していない。

 しかし、かといって驚くことでもない。

 そういう「人影」は自己都合で現れ、自身の関心のままに行動している。

 おそらくここに来たことがあり、その記憶を持っているから、こうやって生前と同じに参拝するのだろう。

 生きている者に影響することは無く、ただ通り過ぎていく存在だ。

 都会の「通行人」と同じで、「通行霊」のことはまったく気にする必要はない。

 

 幽霊は「怒哀」を抱えていることが多いのだが(「喜楽」はない)、それがほとんど感じられぬ者もいる。

 これは「ひとは死ぬと、誰もが幽霊になる」ステップを経由するということではないかと思う。

 肉体が滅びても、自我・自意識はすぐには消滅しない。

 ひとによって長さは異なるのだろうが、死後、「凝り固まった自意識」が消散し、感情や記憶が散り散りになるまで、幽霊は心の赴くままに流離うのだろう。

 

 この日をもって、この神社への参拝回数が五百日に達した。

 一年に百日くらいの年が多いので、これで五年が経過したということだ。

 自らの死を悟り、「死ぬまでに百日詣を」と考え、始めた参拝だったが、神社猫のトラの助けもあり、ここまで来ることが出来た。

 そのトラも今はいない。

 

 割と重い持病がある上に、時々、新しい疾患が加わる。この状態は今後も続くわけだが、精神状態は悪くない。

 この後、どんなことが起きようとも、それも「生きていることを楽しみ味わう」という意味になる。

 もはや「おつり」の人生で、今の一日一日は総て「儲け」のうちということだ(快笑)。