◎「死後の存在」の確証 (令和元年の振り返り)
「死が総ての終り」ではなく「死後にも自意識(自我)は存在し続ける」ということの確信・確証を得たのは、比較的最近のことだ。
やはり物証らしきものが無いと確信から確証に至るには至らぬ。あの世を観察し撮影を始めてから、数年後に「気のせい」ではなく「紛れ」でもない事実に行き当たった。
これが令和元年の十一月のことで、それまでも「煙(煙玉を含む)」や「光」、「人影」を含む画像を得ていたのだが、ここでTPOの統制の利いた条件が揃ったのだ。
この日は、まずN湖に行き、数か所の地点でご供養を施した。
いつも通り、「自分で出られぬなら、ついて来ればよい」と告げ、そのまま神社に向かった。
既に夕方に近い時間帯だったので、前に一人の参拝客がいたが、その男性が去ると、神殿の外に人は私だけだ。室内には祈祷を受ける人たちがいたが、この場合、専ら視点は外に向けられるので、そちらはあまり関係なし。
周囲三十メートル四方内に「私一人」の状態で、ガラス窓を撮影すると、幾つか不審なものが映っていた。
最初に気が付いたのは、4枚目の「老女」だ。私より前に立つ高齢の女性の姿が薄らと見えている。気のせいでも何でもなく「ひとの姿」だということが分かる。前に立つ生身の人がいないのは確認済みだし、画像でも分かる。
またこの老女は韓服を着ており、この神社にゆかりのある人だということも分かる。
ちなみにここはトラのいた神社で、すなわち高麗神社だ。もちろん、ここで韓服を着た人を見掛けたことは、特別な行事以外の日では一度もない。
(普段は神社側に迷惑をかけぬように「トラの神社」と記すようにしている。)
この他にも「人影」が幾つか見付かったが、こちらは朧気だ。
縊死したように見える女性は、看護着のような服を着ており、持病のある私は日頃から見慣れた姿をしている。
この看護師の右側には、稲妻のような光が走っているが、これも時々ガラス窓に映るものだ。ガラスに傷があるわけでも、雷が鳴っていたわけでもなく、煙玉と同じように、唐突に現れる。
なお、一年前にはっきりと「これは幽霊が取り憑いたことが原因だ」と自覚できるような体感を得たが、その時の感触が「蜘蛛の糸がぱっと頭にかかる」ような触感だった。たぶん、あの間食の原因が、この稲妻のような光ではないかと思う。
ガラス窓に映る景色は、時々、理由も無く崩れることがあるのだが、この画像でも景色が崩れている箇所がある。外の木々が映るべきところには、赤い色がうねっており、まるで地獄の釜の中のようだ。
「老女」の表情には、幽霊が抱えていそうな恨み辛みや怨念めいたものが感じられない。まるで自分の用事を済ませに来たところを、いきなり撮影されたので驚いているような風情だ。
要は、特別な感情を抱えた者だけが幽霊に化けるのではなく、死ねばごく普通に幽霊のステップを通るのではないかと思われる。
画像で捉えた幽霊は、霧の中から現れ、程なく雲散霧消するケースが多い。
そもそもがガス状の物質で出来ており、条件によって、一時的に物体化して人の姿に変わるように見える。
この先にも作業仮説らしきものはあるのだが、実証はまだだ。
だが、とりあえず「自我(自意識)は肉体が活動を停止した後も、ある期間、残存し続ける」ことは確からしい。
看護着の女性などは、おそらくN湖から私が連れて来たのではないかと思う。