◎病棟日誌「悲喜交々」11/26 「負のオーラ」
土曜に病棟に行くと、更衣室にスマホの置き忘れがあった。
「さすがボケ老人が多いところだ。『あれがない』『これがない』と騒ぎ出す前に届けてやろう」
ナースステーションに行き「忘れものです」と届けた。
ベッドに座っていると、程なく隣国看護師が来て、「どうもアリがとうございました」と頭を下げた。
「あれ、あなたのだったの?」
「そうです」とニコニコ。
当方は「ぐりぐりの嫌K」ならぬ「憎K」なんだがな(w)。
世間話にも付き合っているから、この看護師はベッドに来るとあれこれ無駄話をするようになった。あれあれ、「良いひと」の立ち位置じゃねーか。
偏屈な煩いオヤジジイで十分なのに。
トイレが掃除中だったので、ロビーまで行くと、この日は患者が沢山いた。ひとが沢山いるのに、ロビーの空気はどんよりしている。
実際に濃いグレーか暗紫色に見えた。
病棟に戻ると、この日の主担当はエリカちゃんだ。
「病院には病人か高齢者しかいない。負(ネガティブ)の気配が漂っている。そこで毎日働いていると、エネルギーを吸われるような気がしないか?」
すると、「マイナスのオーラが一杯で、元気を吸い取られるような気がします」と言う。
薬局から薬を運んで来るバイトの女性たちは、皆が若くて活発だ。その子たちが病棟に入って来ると、「活力が流れ込む」ような気がする。
それと同じことを、看護師の方でも感じるらしい。
「営業中の病院に幽霊は出ない」という鉄則があるが、これは病院自体が「負のオーラ」に満ちているせいなのか。
幽霊自体がマイナス側で、マイナスはマイナスをはじく。
墓地もプラスの要素が無いので、基本的に幽霊は出ない。だが、壊したり汚したりすれば話は別だ。力が加わる。
それと、「黙祷を邪魔するために鳴り物を鳴らしましょう」みたいな振る舞いをすると、途端に悪霊が寄り憑く。覿面にツキが落ちるし、必ずバチも当たる。
さて、エリカちゃんは近々「ハーフマラソン大会」に出るそうだ。
職場が「負のオーラ」だらけだから、スポーツで活力を補填するのは良いことだと思う。
治療中に三十台看護師のO君が来て、ビデオデッキの上に『シャイニング』のCDがあるのを見付けた。
このO君もホラー好きで、『ウォーキングデッド』をディズニーチャンネルで最終話まで観たそうだ。
内容を話しそうになるので、思わず「その先はやめとけよ」。
話を替える。
「現代ホラー映画の基礎は『シャイニング』が始まりで、カメラワークなどの心理描写はその後の映画が真似しているんだよ」
てな解説をすると、「自分にとって『怖い映画だなあ』と思うのは『死霊館』です」と言う。
「あれは、基本的にあの夫婦が現実に対応した事件を扱っているから、現実が下敷きなんだよ。映画的な脚色はしているけどね」
O君は総てが作り話だと思っていたらしく、怪訝そうな表情をした。
「家具が飛んだり、人間が天井に逆さまについたりはしないけれど、霊の声が響くとか、人形に霊が憑くのは普通に起きる」
当方の周りでは、今年もスマホが唐突に叫ぶ「声」なんかは幾度も聞いているぞ。
大体、O君だって、つい十か月前には肩に「お婆さん」を担いでいたわけだし。
だが、人間は喉元を過ぎると嫌なことは全部忘れる。
お守りを持たせ、厄払いの方法を幾度も教えたが、本人的には訳が分からぬままやっていたと思う。
今は背後の影がなくなったが、それと同時に、無用に上司から叱責されたり、同僚から疎外されることも無くなった筈だ。
だから、この日のようにニコニコしていられる。
少し助力したが、自分を救うのは基本的に本人だ。占い師ではないから、「助けてやった」とは言わぬし、実際そういうわけではない。当事者だけが変えられる。
自分が「よくなる」と信じて、あれこれ試すうちに必ず道が見つかる。
「でも。交差点とか駅のホームでは最前列に出てはダメだよ」
O君には事故や災難が寄って来やすいのだが、これは一生変わらない。
終わり頃には、ユキコさんがやって来て、「中にいるのに全然お会いしなくって」とニコニコする。
実際、この一週間は会話らしい会話をほとんどしなかった。
「山だし」仲間で共通点が多いのか、「小さい時に近所にいた」ような錯覚を起こす。
好き嫌いは別として、何かほっとするところがある。
帰り際に出口に車椅子の患者が並んでいたから、一人ひとりの前で腰を屈め挨拶をした。「ではお気をつけてお帰りになって下さい」。
車椅子からはあまり時間が無いことを、本人だって知っている。気が臥せり閉じこもりがちになるものだ。
それが病院全体の「負のオーラ」を形成している。
励まされると、すごく嬉しそうに返すのは、「頑張ってね」が余計に心に響くからだと思う。皆が笑顔を見せた。
ここで気の付いたことがある。
「何か、今日は会う人会う人が、皆ニコニコしてる」
気持ち悪いぞ。
当方の背後には、常に幽霊が五体十体と寄り憑いているから、会う人にそのことがマイナスの印象を与える。目には映らぬが、実は見ているからだ。
怖かったり薄気味悪かったりするから、相手も素っ気なくなるのだが、この日はあまりそういう影響がなかったらしい。
こういう時には、身も心も軽くなっているから、神社やお寺にはむしろ立ち入らぬ方が良さそうだ。鳥居や山門の外には良からぬ者が屯しているが、当方はそういう者にいち早く見付かる。
もはや「半分死人」なのだから当たり前だ。当方自身がウォーキングデッドなわけで。
オチに至るまで話のステップが要るので、かなり長くなった。