◎病棟日誌 悲喜交々 12/26「一緒なら生きられる」
火曜は帰宅後、具合が悪くなり、ずっと横になっていた。ま、こんなもんだ。
この日は治療の終り頃に、看護師のO君がやって来て、少し雑談をした。
病院でO君の後ろに老婆の幽霊が取り憑いているのを目視したことがあり、お守りを持たせたり、お祓いのやり方を教えたりしたのだが、それをきっかけにあれこれ話しに来るようになった。
三十台の半ばで、まだ独身だ。別の仕事をしていたが、それを辞め、看護学校に入り直したから、三十台だがまだ新米の部類。
上司からはよく怒鳴られている。
そのO君が言う。
「友達が結婚することになり、年末は郷里に帰ります」
「そりゃ目出度いね」
「クリスマスイブにプロポ-ズしたらしいです。それで仲間で正月にお祝いをすることになりました」
「なんだ。別の日にすれば記念日が分けられたのに。でも、友だちが集まるなら、出会いがあるから、新しい彼女が出来るかもしれん。三十代の男女は今や半数が独身だ。三割は異性と付き合ったことが無い。友だちの友だちを紹介して貰えれば、出会いは必ずある」
「でもま、俺はセックスする相手がいればそれでいいです」
ここでは、別に説教する気持ちはさらさらないが、自分の話をした。
「俺の女房はどんなに夫婦で喧嘩をしていても、外出した時に障害のあるダンナが食べられ、好む食べものを買って帰る。ダンナのために『してやろう』みたいな考えはなく、それが習慣になっているから、無意識にそうしている。これはどういう状態でも変わらない。最後まで一緒に暮らす、一緒に生きるという覚悟があるからだよ。これがあると生きていくうえでのやり切れなさや辛さが少し軽くなる。普通は喧嘩をすれば相手を放り出したくなるのだが、家族はそうではない。親子も同じで、どんなに不平不満があろうと一緒に生きていくことには変わりない。家族が自分の、自我の一部になるんだよ」
O君は神妙に聞いていた。
「確かに、同世代の仲間には小さい子どもがいる者がいます。それを見ると」
「少し寂しい。ま、相手があることだから、まずは出会いが必要だ。出会い系サイトを使う人もいるが、長持ちするケースはごく少数で、やっぱり多くが合わないという。人間の関りは面倒臭いけれど、一つひとつ当たって行くしかない。だが、昔なら三十台なら周囲は既婚者が多かっただろうけど、今は独身の男女が沢山いる。出会いの場に出て行くかどうかだけ。面倒だけどね」
地方の農家の四十台の男性の半分が単身者だ。人が減っているから、地域で暮らしていると、出会いが決定的に少ない。ウクライナとか中国の人と見合いするくらいしか方法が無くなる。
地方都市に行くと、平日の昼には、街で見かけるのはジジババだけ。それでも人がいるだけましで、歩いている人が居らず、店のシャッターが下りている。
国も移民を受け入れる政策に舵を切った。だが、安直に外国人を呼び込む前に、内部市場を開拓するのが先だと思う。
出会い系サービスを「公共機関が始めろよ」、「見合いの仲介を自治体がやれ」と思う。それなら幾らか安心だ。
全然関係ないが、前から「稼働している病院に幽霊は出ない」と言って来たが、少し訂正が必要なようだ。
最近、病棟で見掛けたお婆さんが一人亡くなったが、時々、食堂に座っているのを見掛ける。まだ意識の上では、日々のルーティンに従っているようだ。ま、ひと月くらいで出なくなると思う。