◎病棟日誌「悲喜交々」12/22 早速始まる
木曜は通院日だった。
病棟のベッドで横になっていると、何やら看護師たちが向かいの患者のところでバタバタと忙しく立ち働いていた。
向かい側に居るのは、少し耳の遠い八十台の男性患者で、「相手が若い女性だと途端に聞こえるようになる」ジーサンだ。
医師が来て、その医師に看護師が報告するのが聞こえた。
「最初は三十六度六分だったのですが、最初の検温で三十七度一分、二回目が三十七度七分です」
念のため、その場で検温したが、三度目は三十八度を超えていた。
医師の指示で、そのジーサンはベッドごと、個室に運ばれた。
その後、その場の機器もどこか別の場所に運び出され、看護師が周りをしゅうしゅうと消毒した。
あれが発症だとすると、たった一時間の間に「容体が激変した」ことになる。
なるほど、だんだん具合が悪くなるのではなく、ダダっと来るわけだ。
悪化する人は、そこから一時間で意識が無くなる。
亡くなる人が「苦しむ時間はそれほどでもない」と言われるのはそういうわけだ。
とまあ、傍観者的に見ていたが、一月二月と言われていた感染爆発が、早くもこの病棟にも押し寄せて来たかと、どこか納得した。これからこういうことが時々起きる。
昨年までと違い、報道も「どこか他人事」の扱いになって来たから、あまり実感が湧かない。
だが、院内感染すれば、同じフロアに四十人くらいいる患者のうち相当数がこの世とオサラバだ。
間違いなく幾人かはニュースの最期に流れる「本日の都内の死者はウン十人でした」の「ウン十人」の方に入る。
なんてことを、やはりどこか傍観者的にぼーっと考えた。
「感染即死」の立場の者がこれだけ傍観者的な意識なのだから、生命の危機を感じぬ人はもっと他人事だろうと思う。
ところで、日曜に十か月ぶりかでラーメンと餃子を食べたのだが、火曜に血液チュックがあり、結果、リンとカリウムの数値がとんでもなく上がっていた。
ま、腎臓が悪いから「排出できない」という要素もあるが、健康な人でも目安ぎりぎりの水準まで上がるのではないかと思う。
おかげで、リンとカリウムの吸収抑制剤を処方されてしまう始末だった。年末年始が来るから「さらに上がるだろう」という見込みによる。
今は娘が家に帰って来て、家人と娘を別々の駅まで送るから、どうしても朝が遅くなる。九時近くに病棟に入るので、当方がその日治療を受ける最後の方の患者になる。
午後にはバタバタと患者たちが帰って行き、残り三人くらいの中に混じるようになった。
最期には少し眠っていたのだが、目を覚ますと枕元に生卵がひとパック置いてあった。
ガラモンさんだ。
ガラモンさんの親戚が青梅で有精卵を売っているから、時々、当方もおすそ分けが貰える。
四十台の看護師(男)がその卵を見て、「病棟のベッドに生卵を見るのはこれが初めてだ」と笑った。
「全然味が違うし、温めればヒヨコが生まれるんだよ」
するとフィリピンのバロットを知ってるらしく、その料理の話をした。孵化する直前の卵を茹でる料理だが、食べられる人によると「すごく美味い」らしい。
居酒屋のスズメの焼き鳥で、少したじろく者には、幾ら旨くとも到底食えん。
「食と不倫は文化だから、ところ変われば考え方も変わる。フィリピンの人にとっては、魚の活け造りの方がよっぽど気色悪いらしいよ」
帰宅して、その有精卵を家人に見せると、「なら私が育ててみる」と言い出した。常にポケットに入れて温めれば、二十日くらいで孵化する。あるいはホッカイロ。
「オメー。まさか食うわけじゃないだろうな」
「まさか。子どもたちにひよこが生まれるところを見せるのよ」
えええ。ヒヨコならともかく、そこから少し大きくなったら、どうやって扱うんだろ。
「俺は鳥の面倒を見ないよ。そもそも鳥の類が嫌いだもの。最後までアンタが面倒を見ろよ」
家人はしばらく思案していたが。結局、孵化を諦め、パックに戻した。
有精卵は生きて息をしているから、冷蔵庫に入れると中まで匂いが吸着するそうだ。五日くらいは風通しの良いところに置くそうだ。
今は廊下の本の上に置いてある。