日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎明日はついに五輪

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令和三年七月二十二日撮影 某病院のロビーにて

◎明日はついに五輪

 木曜は通院日だが、今は五輪休みなので、病院も休日だ。

 もちろん、私のような内部障害者は暦には関係なく病院に行く。

 

 明日はついに五輪かあ。

 十年前から「俺はきっと五輪を見られない」と信じていたが、どうやら見られるようだ。

 運命には軌道修正があるらしい。

 ま、まともに死神に会っているのに、五年以上も生きているから、自身の死は「逃れられぬ運命」みたいな話ではなかったらしい。

 

 もちろん、五輪はまだ始まっていない。

 開催の半ば頃までは、警戒心を解かぬようにしようと思う。

 

 治療が終わりトイレに行こうとしたが、病棟には一か所しかなく、朝と午後はよく塞がっている。

 そこで、一階の障害者用トイレを使うことが多い。

 エレベーターで別の患者と一緒になったら、そのオバサン患者に「トイレなの?それなら、地下のトイレに行けば必ず空いているよ」と言われた。

 そこで一階をスルーして地下に行ってみると、そこのトイレが「いつも空いている」理由が分かった。

 トイレの目の前が霊安室なのだった。

 これじゃあ、「憚り」を使うのは、憚られるよな。

 

 ところで、この日の朝、病棟のロックが解かれるのを待つためにロビーの長椅子に座っていたら、少し眠くなったので、長椅子に伸びた。

 すると、一分もしないうちに、三十㍍くらい離れたところにいた(確か)筈のガラモンさんがすっ飛んで来た。

 「急に居なくなったから、倒れたかと思ったじゃないの!」

 少しく叱られてしまった。

 

 ま、こういう展開は、当方らの病棟ではよくある。歩いていて、突然ぶっ倒れる患者もよくいる。そのまま病棟から消える人もいるから、周囲の対応が速い。

 真剣に心配して貰えるのは、有難い話だ。

 私らが生きていられるのは、周囲の人たちや、日本国の医療のおかげだ。

 

 自分なりに死ぬまでに何か返すことにした。

 画像は一階のロビー。ちょっとした異変を感じるのは「地下に行ったから」ということか。

 (もはや目視は要らなくなった。)

 迷っている者はとりあえず後ろをついて来る。場所に異変があるのではなく、私の方にあるのだと思う。

 

 ところで、もし死神(お迎え)に会ってしまったら、ひと月から半年以内に再び現れる。その時が本番で、二度目を越えられる者はほとんどいない。

 状況にもよるが、そこで踏み止まるにはあの手この手の作戦が必要だ。

 いち早くそれと気付き、死期を回避するための手立てを打つ必要がある。