日刊早坂ノボル新聞

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◎病棟日誌 「悲喜交々」 七月十九日

病棟日誌 「悲喜交々」 七月十九日

 今日は通常の通院に加えて、眼科の検査があった。眼底出血が見られたためで、これは常時、「ヘパリン」という抗凝固剤を使用しているから、時々起きる。

 血が固まりにくいと、毛細血管がどうしても弱くなるらしい。

 糖尿病の網膜症に似ているが、そっちは血管自体が新しく増えることで、破れやすくなるという違いがある。

 

 朝一番の予約だが、当方は麻薬があまり効かぬので、瞳孔が開かず、事前の点眼だけで4回、計一時間以上かかった。

 ロビーで診察を待っていたが、なかなか順番が来ぬのはどこの眼科も同じだ。結局十一時頃までロビーに座っていた。

 この日は混雑が酷く、座る席さえない。

 そこで、救命救急室の前の長椅子に座ることにした。

 ここは人が少ない。

 救命室の扉はすぐ目の前だ。

 

 そこに座ってから十分もせぬうちに、担架でご老人が運ばれて来たのだが、顔が土色で、息をしていない感じ。

 すぐ二メートル前のことだから、よく状況が分かる。

 「ああ。もう心停止していたのだな」

 救急隊員も、別段慌てもせず、神妙に医師の来るのを待っている。

 「生き死に」の局面を目にするのは、毎回のことなので、今では何とも思わなくなった。

 患者を見たところ八十台半ばで、ま、無難に一生を終えることになった模様だ。あまり苦しまなかったようだから、良かった方だ。泣いたり叫んだり、苦しむと、御遺体の体勢がよじれていたりする。

 

 と思っていたら、突然、患者が「ぶわあっ」と息をした。

 おお、このジーサン。死んではいなかったのか。

 当方も驚いたが、救急隊員も驚いた模様。大慌てで、救命室の中に担架を運び込んだ。

 それからどうなったかは知らぬが、たぶん生きていると思う。

 ツイているのか、しぶといのかは分からぬが、この手の人はなかなか死なない。

 昔なら、周囲がその人が生きていることに気付かず、棺桶に入れて土葬したかもしれん。

 顔が土色だった時に、ジーサンが何を見て、どういう経験をしたか、是非とも聞いてみたいもんだ。

 「心停止クラブ」の会員に入る資格がある。

 

 結局、この日は四時近くまで病院にいた。

 左目には幾らか霞が掛かっているが、充分に景色が見えるので、運転して帰った。

 だが、新聞記事みたいな細かい文字などは見えぬので、また何も出来ぬ日々が続く。 

 SNSなら、誤変換や文字化けがあっても知ったこっちゃないが、仕事絡みじゃさすがに不味い。

 ま、自由業や日雇い生活者には、「この次(失地回復)」はない。気と手を抜けばそこでアウト。

 契約条件を記すのに、一字でも誤記があれば、命取りになる。

 

 さて、システムをクリーニングしないと、文字の変換すらろくに出来なくなった。マイクロソフトには独占禁止法に抵触する部分が多々あると思う。