日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎心臓が止まってから起きたこと

◎心臓が止まってから起きたこと
 最初に「心停止」を経験したのは、26歳か27際くらいの時だ。
 その頃、当方は大学院に籍を置きつつ、研究所で非常勤研究員をやっていた。
 たまたま父が営業のために上京し、数日、当方のアパートに泊まることになった。
 週末だったので、父の営業についていき、道案内をした。
 今のようにスマホは無い時代だから、地図を片手に上野周辺の卸問屋を回ったと思う。

 黒豆の出荷シーズンで十二月。かなり寒かったせいで、その時、当方は風邪を引いていた。
 少し熱もあったので、市販の風邪薬を飲んでいた。
 日中はかなり歩き、帰り際に、父と一緒に寿司を食べた。
 もちろん、食事の前にはビールを飲んだ。
 それから部屋に戻り、シャワーを浴びて寝た。

 異変が起きたのは十二時頃だ。
 当方は眠っていたのだが、鳩尾が重く感じられ、目が覚めた。
 しばらくじっとしていたが、鳩尾の重さがどんどん強くなって来る。
 その内に手足が動かなくなったので、隣で寝ている父を起こした。
 「何だか調子が悪い」
 風邪を引いて、薬を飲み、酒を飲んで、風呂に入るという、いわば心臓を傷めるフルコースを辿っていたから、顔色がよほど悪かったらしい。
 父はすぐさま「ただごとではない」と悟った。
 大慌てで、部屋を走り出て、近所のピンサロに駆け込んだ。
 (練馬の北口にごちゃごちゃと店が沢山あった時代の話だ。)
 父によると、そこで事情を話し、救急車を呼んで貰ったとのこと。
 その店の店主は丸ボーだったが、丸ボー系の人たちは、困っている人を見ると、すぐに手を差し伸べる。底辺に生きているせいか、そこは人の世の苦さを知っている。
 (やや失礼な言い方だが、当方も社会の底辺に生きる仲間だと思う。)
ちなみに、「一般人」だとただ遠巻きに見ているだけだし、「知識人」だとそ知らぬふりをされてしまう。
 ちなみに、後にそこの店主と知り合いになり、麻雀を打つようになったが、そこで色んな世界を見させて貰った。出会いはどこから生じるか分からない。

 救急車はすぐに来た。
 それもその筈で、練馬駅の東口のすぐ先に消防署があるからで、15分も経たぬうちに部屋の前に来たらしい。この辺では、当方は意識が途切れ途切れになっており、記憶が余り無い。
 救急病院も近くだったから、直ちにそこに向かい、玄関から搬入された。
 ドラマ通りに心電図が取り付けられると、お馴染みの「ピコ-ン」「ピコーン」という音が鳴り始めた。
 医師は「どういう感じですか。痛みはありますか」みたいなことを訊いて来たと思う。
 たぶん、「鳩尾が重くて、手足が動かない」と答えた。
 それからほんの十秒くらい後に、心電図の音が変わり、「ツー」と一本調子になった。
 これもドラマでよく見る風景だ。
 実際、その時も「テレビみたいだな」と思っていた。

 すぐに目の前が真っ暗になった。
 次にパッと目が覚めると、当方は立ち上がっており、寝台の脇に立っていた。
 隣に目を向けると、さっき当方を診察した医師がいて、寝台の上にいる患者を処置していた。
 患者の方に目を向けると、そこにいたのは当方だった。
 臨死体験を語る多くの人と同じことが起きていたわけだ。

 次に気がつくと、当方は病院の廊下に立っていた。
 目の前には長椅子があり、父がそこに座っている。
 父の前には救急隊員がしゃがんでいて、父と話をしていた。
 「若い方にはこういう風に、突然、心不全を起こす人がいるのです」
 はっきりと言葉には出さなかったが、若年層の「突然死」というやつだ。
 救急車の中でも、当方の心臓が止まりかかっていたらしく、隊員の話はもはや慰め口調だった。
 「おいおい。俺はここにいるのに。まだ死んでねえよ」とぼんやり思った。
 不思議なのは、この時も「医師の隣に立つ自分」を意識していたことだ。すなわち、当方は、医師の隣にも立っていたが、同時に廊下で父と隊員を眺めてもいた。

 しかし、すぐにまた真っ暗になり、再び目が覚めると、当方は元の寝台の上に居た。
 「あれ」
 まったく実感が無い。
 心電図の「ピコーン」「ピコーン」という音の響きがよく聞こえる。
 看護師が「戻りましたね」というような言葉を言ったと思うが、あまり良く覚えていない。

 いざ体に戻ってみると、別段、異常を感じなくなった。
 朝方までベッドに寝ていたと思うが、8時頃にはタクシーを呼び、部屋に帰った。
 心臓の異常ではよくあるが、発症が治まると、まったく何とも無くなる。
 記憶が断片的で、詳細を思い出せないので、後で父に「あの時はどうなっていたのか」と訊ねたが、父も「よく憶えていない」と言う。
 父は父で「息子が死んでしまうかも」と思い、必死で動いたので、細かいことを憶えていられなかったのだ。
 その夜はどうしたのか、翌日どうやって帰ったのかなどはすっかり忘れてしまったらしい。
 何せ、当方の部屋には電話があるから、いざと言うときはそれで119番を呼べばよかったのに、父は慌てて外に飛び出し、300メートル先の店まで走った。
 かなり動転していたことが如実に分かる。
 それでも、「あの時、救急隊の人とこういう話をしてたよね」と確かめると、父は「まさにその通りだ。何で知っているのか」と驚いた。
 今も時々、「あの時、親父は俺のことを『こいつはもう死ぬ』と諦めやがったでしょ」と父をからかう。

 独りで居たら、たぶん、そのまま死んでいたと思う。
 父と一緒に出掛けなかったら、そういうことも起きなかっただろうから何とも言えないが、やはりツキがあったのだと思う。
 何せ、当方の心臓が止まったのは、この時だけではなく、幾度かあの世に足を踏み入れている。その都度、何とも説明し難いものを見た。
 今に至るまで、当方は常に「あの世に近い」位置にいるが、たぶん、こういう経験のせいだと思う。

 あの時に、第六感の立つ人が当方(実体ではないほう)を見たら、まさに「この世の者ではない」存在だと思ったことだろう。