日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「もういいです」

◎「もういいです」
 病棟で横になっていたら、遠くのほうで医師と患者が話をしているのが聞こえた。
 病棟は30人くらいがひとつのフロアにいて、朝の問診の様子がつつぬけになる。
 このため、誰がどんな状態かも丸分かり。
 どの人が何の感染者かということも分かってしまう。
 一般人なら大騒ぎだが、ここの病棟は重篤な患者ばかりで、まさに「タイタニック」の状態だ。
 だから、他人の病状に耳を留めるやつはいない。

 今日聞こえたのは、高齢の女性の声だ。
 医師が「新しい治療を始めます」と告げたら、その患者が断ったらしい。
 「わたしはもういいですから。年を越せればそれでいい」
 すると医師が問い返した。
 「※※さんはお幾つでしたっけ?」
 「87歳」
 「そうですか」
 医師はしばらく考えたが、答えを出した。
 「それじゃあ、鎮痛剤を出しときますね」

 珍しいケースだ。
 「俺なんか死んでも構わない」と言う人は、概ね65歳以下で、さしたる病気をしていない人だ。
 要するに、目の前に死が見えていないから、「死んでもいい」と口に出来る。実感が乏しいからそう言えるのだ。
 テレビで野球を観ている分には、「何で打てねえんだ。キヨハラのクソヤロー」と叫べるが、実際にバッターボックスに立ったら、プロはおろか中学生の直球だって打てやしない。
 それと同じ理屈だ。
 実際は、齢を取るほど、また、病気で苦しめば苦しむほど、「死にたくなくなる」。
 90歳を超えた寝たきり高齢者の多くが、「まだ死にたくない」と叫ぶ。

 90になる父は常々、「ひとの心はそういうものだ」と言うが、当方もそう思う。自分だって、どんな病状を告げられても、「まだ死にたくない」と言う。もはやそれだけ直前に見えているのだ。
 神仏や幽霊まで持ち出して、生き残りをはかる。
 
 その女性患者はかなりの年月を闘病生活に費やして来たらしい。普通は、長く生きる人、生きられる人は、生命力が強く、しぶとい人のことが多い。
 だから、「死にたくない」と叫ぶ。
 「齢を取り、病気を重ねると死にたくなくなる」には、そういう、生に執着する者、へこたれない者の方が生き残る、という面もある。

 痛い治療を重ねて来たら、「いい加減、この辺で」と思う時が来るかもしれないが、しかし、あの女性患者だって、年を越し、さらに具合が悪くなったら、「やっぱり死にたくない」と叫ぶのかもしれない。

 具合が悪くなり、救急車に乗せられたことが幾度かあるが、まさに「あれよあれよ」で進んだ。
 心室細動の後、心電図のあの音が「ツー」と一本調子に鳴るところまで、実は当人にもはっきり聞こえる。
 もちろん、現実感が無く、自分が夢とうつつの合間にいるような感じだ。
 亡くなる人は、あのまま逝ってしまうのだろうから、覚悟なんてする暇は無い。
 その意味では、数ヶ月なり、数年なり、自分が「死んで行くのだな」と自覚できる準備期間があったほうが助かる。