◎やはり「死にたくない」そうだ
隣家のご主人(一人暮らし)に家人がリンゴを届けた。
ご主人は70歳の手前くらい。
建設畑だったので、庭の周囲にコンクリを打ったり、石垣を作るなどはお手の物だ。
たぶん、山を崩して宅地を造成することなんかも、お茶の子だろうと思う。
中高年になって初めて、「現業が出来るのは強い」ってことを思い知る。
ログハウスなんかを、ささっと半年一年の間に作ってしまえるのなら、さぞ楽しかろう。
そのご主人が半年くらい前に病気になった。
顔に何か小さい出来物が出来たのだが、それが皮膚がんだったので、手術してそれを切った。
その時に神経を切ってしまい、何か月も顔半分が「下がっていた」らしい。
顔を顔として維持するのには、神経でコントロールしているから、その神経が切れると、水を入れた風船みたいに垂れ下がるそうだ。
顔は良くなったが、がんはリンパ節に転移していた。
今は抗がん剤を飲んでいるが、顔を含めかなり浮腫んでいたようだ。
女房にはこう言ったそうだ。
「今まで病気をしたことが無く、死ぬことを怖れたことがなかったのに、目の前に来たら怖ろしくなった。まだ死にたくない」
「俺なんかいつ死んでもいい」と言えるのは、死ぬこととは無縁の生活を送っているからで、実際に秒読み態勢に入ると、その途端に怖ろしくなる。
これは年齢とは関係ないようだ。
もちろん、闘病生活の期間にもよる。
長く患っていると、さすがに「そろそろいいかな」と思うようになって来る。
日本ではよほどのことが無い限り麻薬を打ってくれないので、闘病生活は苦痛の方が勝る。
これが「もういいか」と思う要因だ。
医師は患者が痛くてうめいているのに、滅多にモルヒネを出さない。
延命措置を行って、苦痛の方はそのままなら、人によっては「地獄が際限なく続く」のと変わりない。
ロキソニンなど効きやしない。
モルヒネを打ち、苦痛を軽減し、延命治療をほどほどにすれば、長く苦しむことは無くなる。
高齢者が駅のホームから飛び込むことも少なくなる。
(自殺の主要な動機のひとつは「病気を苦にして」だ。)
ただし、ここは安楽死とは違う主旨なので、念のため。あくまで苦痛の軽減だ。
しかし、一般的には、死にそうになればなるほど、強く「死にたくない」と思うようになるようだ。
介護施設で寝たきりの老人は、多く「まだ死にたくない」と叫ぶ。
父の見舞いに行った時に、別の部屋から、やはりその叫び声が聞こえていた。
どっちの気持ちもよくわかる。
隣家のご主人は家人に対し、よく正直に「まだ死にたくない」と本心を言ったと思うが、それも、当方が長く患っていることを承知していたからだろう。
既に病人仲間なので、愚痴も平気でこぼせる。