日刊早坂ノボル新聞

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◎家人も「人身事故」に遭遇

家人も「人身事故」に遭遇

 数日前に看護師のユキコさんが人身事故の現場を見てしまったことを記したが、火曜日には家人も遭遇したとのこと。

 朝、電車に乗っていたら、駅に入る時に急停車し、程なく「人身事故で・・・」のアナウンスがあった。

 それから一時間半も電車の中で待ったが、窓がブルーシートで覆われたので、事故現場が自分の乗っていた車両の下だと分かった。前の方に乗っていたわけだ。

 目隠しをしていたが、科捜研も来て現場を検分したらしく、「警察や駅員が百人は集まっていた」らしい。

 轢死体を運ぶ時にも、概ねシートで隠されていたが、それでも少し見えたので、家人は気分が悪くなった。今も「心が晴れぬ」と言う。

 

 自死率のピークは二十歳前後と高齢者だが、ホームを選ぶのは若者の方らしい。「病気を苦にして」も割合あるが、その時には、出掛けられなくなっている。

 電車では、毎日のように「人身事故」が起きているわけだが、年間一万何千人かが自死しているから、遭遇する機会もそれなりにあると思う。

 

 自死を考えるようになった人は、相談窓口のことなどは目に入らなくなるから、早い段階で「相談できる」環境に改善して行く必要がありそう。

 こころに問題のある人が多そうだから、カウンセラーの前に座らせるまでが大変ではある。

 

 「あの世」的側面から見えることもある。

 自死を選ぶ直前には、二重三重に悪縁が寄り集まっている状態だろうと思うが、本人の抱えた問題を解決に向かわせぬ限り、悪縁を幾ら除去しても、次から次へとたかって来る筈だ。

 背中を押す者の圧力を軽減すれば、「我に返る」瞬間が生まれるかっも知れんから、悪縁除去が何がしかの助けにはなれるかもしれん。

 ただ、ここでの「あの世」対策は主ではなく従の立場だ。対症療法の一部で、根本的な解決には至らない。

 

 議論は様々あるだろうが、どうしても決心が変わらぬ者については、尊厳死安楽死を認めてやればよいと思う。もちろん、一定の条件を満たした者についてだ。

 半年一年の間、まったく意思が変わらず、自死を望むなら、モルヒネを与えてやれ。

 こういうのは、無条件に反対する人が多いが、当事者は人権のことなんかは眼中にない。

 私は終末病棟にいるから、死にゆく人を沢山見ている。

 実際、毎月、幾人が病棟から去って行く。

 その中には、「もう死にたい」と一週間の間四六時中泣き叫んで、ようやく死んで行く者も居る。こういう延命は、単に苦痛を長引かせているだけだ。断末魔の苦痛は、人生で経験したことのないほどの水準なのに、それを続けさせる。

 「死に至らぬまでも、モルヒネを与えて苦痛を軽減すればよいのに」といつも思うが、鎮痛剤(まったく効かない)しか与えない。そして、なかなか死なせない。

 私自身については、既に寿命が見えているわけだが、自死しようという気持ちはさらさらない。十日も治療を拒否すれば、いつでも死ねるので、その必要が無いわけだが、やはり断末魔の苦痛は軽減して欲しいと思う。

 

 安楽死に反対する者は、一度、あの叫び声を聞いた方が良いと思う。治る見込みが無く、周囲は、ただその患者の命が尽きるのを見守っているだけ。本人は全身を襲う苦痛に、ひたすら叫び声を上げる。

 断末魔の苦痛を軽減することが「人権無視」とは思えぬ。

 自分たちが健康で、塵ほども死を身近に感じていないから、とにかく「安楽死はダメ」と言い張る。せめて私の病棟やホスピスに来て、次々に死んで行く人の姿を見てから言え。

 

 駅での「人身事故」が日常の風景になり、「自死の手段」として頭に刷り込まれると、いざそういう苦境に立った時に、咄嗟的にそれが思い浮かぶ。「人身事故」を放置することは、さらなる「人身事故」を招き寄せる。

 年間一万人規模なら、もはや専門のチームが対策に当たるべき次元だ。

 どうしても止められぬなら、今度は逆に「死ぬ権利」を認めてやれ。そうすれば、線路の上に肉体のかけらを撒き散らさずに、尊厳を持って死ねる。