日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎いよいよ神無月(540)

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◎いよいよ神無月(540)

 ちょっとした出来事があり、所用の帰りにいつもの神社に参拝した。

 その「ちょっとした出来事」というのは、今朝のガソリンスタンドでの話だ。

 

 家族を買い物に連れて行く途中で、ガソリンスタンドに寄った。

 日曜で混雑しており、給油機の前に順番待ちの車が並んでいる。

 こちらの車は道路から入ったので、その列から少し斜めの位置関係になる。

 給油機は二台縦列に並んでいたが、前の車が出て行ったのに、順番待ちの車が入らない。

 たぶん、真後ろにいるから、空いたのが見えないのだろうと思い、家人に声掛けをさせた。

 「入ってもいいんですか?」と家人が窓を開けて訊く。

 すると、その車の運転手は、「次は俺だろ!!」と叫んだ。

 言い方がかなり乱暴だ。

 家人は少し腹を立て、「あの人はろくな教育を受けていないね」と呟いた。

 私は、たぶん、前が見えず、その運転手が「こちらが割り込もうとしている」と思ったことが分かるから、「口の利き方を知らぬ者は、今は普通にいる」と答えた。

 「それに、ああいうヤツはいずれ車の事故で死ぬから」

 確か東京だけで年間三千件の人身事故が起き、年間百数十人が死ぬ。三日に一人の発生率だ。埼玉県でも週に数人が事故死している。

 「あおり運転」に至らずとも、やはり短絡的な思考をする者が起こす事故が多い。

 それも因果応報だ。

 

 そんなわけで左程腹も立たぬわけだが、しかし、次の瞬間、背筋が寒くなった。

 私の右肩のところに、「妖怪顔(アモン)」が顔を寄せていたのだ。

 思わず、「おいおい。やめてくれよ」と声に出して言った。

 家人が「え。何?」と訊く。

 「いや、別に。気にすんな」ととりなす。

 

 まさかこの程度でアモンが出動しようとするとは。さすがに驚いた。

 多少、乱暴な口を叩いたくらいで、家族を丸ごと消滅させるのでは、ちょっとやり過ぎだ。

 私も家人同様に腹を立てそうになったのも事実だが、しかし、相手にも一応の理由がある。それを、「従兄弟の子」くらいから始め、親兄弟全部を病気にしたり殺したりするのは、過剰だと思う。

 いつもは短気な私だが、さすがに悪霊の頭が肩に乗れば、そんな気持ちも失せる。

 普通の人なら、こんなのは妄想なのだが、正直、今の私のはあながち妄想でもない。

 おそらく、ドラレコで車内が映るのを備えていれば、アモンの姿が映ると思う。

 たぶん、それ以外に「女」やら「子ども」やらもじゃらじゃら映る。

 

 買い物を済ませ、一旦帰宅したのだが、自身が「悪意を抱えた」ままでいるような気がしたので、もう一度外出することにした。

 所用を幾つか済ませ、最後に神社に参拝して、悪意・悪縁をきれいにしよう。

 そんな風に考えたのだ。

 

 境内に入ると、参拝客が一杯いた。

 日曜だし、七五三の季節だし、菊花展もやっている。

 神殿前にも人が行列を作っている。

 だが、こういう時に撮影を躊躇うことはない。自身の姿を確かめる方が大切だから、多少の失礼は仕方がない。

 

 駅や都心の雑踏など、人込みを極端に嫌うようになったのは、「生きた人間」ではない者が混じっているからだ。

 このため、人が複数いるところに行くと、その場に居る人の数を無意識に数えてしまう。

 それで「たぶん、今日も余分にいるだろうな」と思う。

 何せ神無月が間近だし。今年は十一月の後半からだったか。

 

 神殿前では三枚の撮影をしたが、やはり不自然な人影がある。

 複数あるから大きなものだけに言及すると、「二枚目の拡大図」の右側にいる女児だ。

 続けて撮ったので、二枚目は最初の画像と同じ顔触れの筈だが、この女児は最初の画像にはいない。

 それ以前に、この女児は奉納箱の高さの位置に足を置いている。

 細かい説明は省略するが、簡単に言えば、「宙に浮いている」位置関係になる。

 この位置にあんな風に立てる人間はいないのだ。

 

 三枚目は拝礼をした後で、後ろに下がり、改めて撮影した画像だ。

 この時には「視線」が私に向けられていたのだが、画像を見ると、「女」が私の前にいたようだ。このため、私の姿が消失している。

 人の前に立たれると、人の姿が画像から消えてしまう。

 大半の人が、テレビなどで「手足の先が消えている心霊写真」を見たことがあると思うが、多くは「たまたま陰に隠れていた」ものだ。

 ところが、時々、実際に消えているものがある。そういうのは、「人の前を幽霊が通り掛かった」ケースのことが殆どだ。

 生きている人と幽霊はプラスマイナスの関係にあり、カメラは感知域が広いので、そういう変異を捉えてしまう。このため、重なった部分が画像には残らなくなるようだ。 

 

 私の姿を消している「女」はサングラスを掛けているかのように、目の周りが真っ黒だ。

 そして、この「女」は最初の画像からきちんと写り込んでいる。

 画像の中央に、柱の陰から顔を半分だけ出している「大きな顔」があるのだが、最後のと同一人物だろうと思う。顔のサイズがやたら大きいわけだが、この「女」が前に立ったので、そこに居る筈の女児の姿が消失した。影すら見えていない。

 

 いずれにせよ、いつも通りの季節がやって来る。

 画像に写る幽霊たちが日一日と鮮明になって行くと思われる。

 ちなみに、「この世ならぬ者」が隣に立ったからと言って、何かが起きるわけではない。

 死んでもなおかつ神社に参拝するのは、「救われたい」からで、そこまで到達すれば、生きている者にちょっかいを出したりはしない。

 もちろん、必ず例外はあり、私を含む一部の者は除く話だ。

 

 帰宅する頃には、今朝の「ちょっとした出来事」のことはほとんど気にならなくなっていた。やはり、悪意や悪縁は「早いうちに下ろす」のが肝心だと思う。

 だが、ほんの少し気掛かりなのは、悪霊のアモンのことだ。

 私の肩で「さあ、俺に『アイツを殺せ』と願え」と囁いていた筈だが、まさか出動してはいないだろうな。

 今は地獄の釜の蓋が開いているから、「あおり運転」から「暴力事件」に発展するようなケースは、今後はどんどん増えて行く。

 アモンを含め、悪縁の主たちがこの世を跋扈するだろうと思う。

 虚栄の街・ソドムには神の怒りの雷が落ち、悪人も善人も悉く滅びたが、まさか・・・。

 

 画像は実際にその場にいないと判別がつかないだろうと思う。

 もし「見える」のであれば、かなり気色悪い絵になっている。

 いずれにせよ、話半分で。総てが妄想だと思ってくれれば、こちらとしては助かる。

 アモンが何をやっても、さすがに責任は取れない。

 

追記)「俺について語る時には、必ず俺の姿を晒せ」と言うので、アモンの姿を添付した。祈祷の仕方を覚え、コイツに願えば、恐らく多くの欲望が実現すると思う。

だが、もちろん、お勧めは出来ない。一生分の富に払う代償があまりにも高すぎる。

取り消しが利かず、やり直しも出来ないので、念のため。

 コイツは実在する悪霊だ。