日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎アモンの肖像

令和元年七月二十七日撮影

◎アモンの肖像

 時々、日々の記録に「アモン」の名を出す。

 正確な発音は「ウモン」に近いのだが、語呂がよいので「アモン」と呼んでいる。

 画像に残ったのは、平成元年の七月だ。しかし、それ以前から私の近くにいたようだ。

 外見は二十七歳くらいの女性だったり、八歳くらいの子どもの姿だったりする。しかし、本体は画像の通りバケモノ顔だ。眩暈がするくらいスタイルの良い美女であることが多いのだが、本体がこれではさすがにゲンナリする。

 私は某国のタレントを見ると、「どうせ整形」と思い、アモンと同じに見える。

 画面を見ながら、「しかし、その本体はバケモノ」と思わず呟いてしまう。

 

 令和元年の時点では、思い当たることが無かったので、こんな妖怪みたいなバケモノに体を鷲掴みにされていることで、少しビビった。

 だが、だからと言って何かをされたわけではない。長く付き合って来たのだから、当たり前だ。

 

 時々、脈絡なく大万馬券の情報を送ってきたりするヤツもコイツではないかと思う。

 からかおうとしているのか、二段三段構えで罠が仕掛けてあるから、なかなか読み切れない。

 姿かたちは悍ましいほどのアモンだが、キリスト教的な「神と悪魔」「善と悪」みたいな発想による「悪縁(悪魔)」を思い浮かべると、それは少し実態とは違う。

 アモンらの悪縁は、主に「因果応報」を主張し、それを具現化する。

 死神の性質も持つので、人が死ぬ時に迎えに来る(とりわけ悪人)。

 この世には、見た目や体裁をごまかし、イカサマを働く者が沢山いるが、程なくそういう者たちに「祟りの雨」が降ることになっている。累は親も子も孫も、そして親戚友人にまで及ぶ。

 これが言葉だけなら、とるに足らぬ妄想に過ぎぬのだが、アモンの場合は実体を伴っているのでやっかいだ。甘く見ると、それを聞き付け、背後にピタッと寄り添う。

 もはや幽霊の域ではなく、祓う手段がないのでやっかいだ。
 殆どの人は、あの世のことなど塵ほども知らない。