◎霊界通信 R060627 「異世界への扉」
たまたまFBの「振り返り」ページが開いた。令和元年に撮影した画像を、翌年に検証してみた内容だった。
撮影箇所は定点で、神殿の前では4地点に固定しているので立ち位置を特定出来る。
これまでこの地で何千枚も撮影しているので、二枚目の画像にはかなりの違和感を覚える。この地点で撮影し、このように写ることはない。
そこで、これをもう一度再検証してみた。
結論を先に記すと、ガラス窓に映っていた人物(「老夫婦」と呼んでいる)は、やはり現実には有り得ぬサイズの人影だった。
立っていたのも私がいたのと同じフロアだ。
そうなると、この二人は身長が40㌢から50㌢しかないことになる。
この「老夫婦」は、この境内では時々写り込むが、いつも遠景で隅に小さく入る。
これを撮影した時には、赤外線カメラでも撮影したが、コテコテの悪縁(悪霊。悪魔とも)のアモンが写り込んでいた。
ちなみに、「アモン」は後になり自分から名乗った名だ。実際の発音は「ウモン」に近いから、キリスト教の悪魔アモンとは別物だ。
これが「真実だった」と痛感したのは、この再分析をやっている時に、電話が「プププ」「プププ」と鳴り続けだったことだ。
PC脇の受話器には電源が入っているが(裏でコンセントから抜けぬ位置にある)、回線は繋がっていない。
信じようと信じまいと、あるいは好むと好まざるとに関わらず、あの世(もしくは異世界)は厳然と存在している。
車の構造に例えるとわかりよいが、外見だけを一瞥して、ああだこうだと言っているのが現状だ。
内部の構造は、どうせボンネットを開けても理解出来ない。それなら、「いかに安全に運転すべきか」を考えるべきだ。
人間の知識など屁の役にも立たないことを知るべきだと思う。
無防備に死ぬと、この老夫婦のように、自分が死んでいることにも気づかず、ただ当てもなく彷徨う。それは何年も何十年も続き終わりがない。
そうなったのは、目先のことだけ見て、己の死の後に起きることに目を閉じ、耳を塞いで暮らしたから。人生を見てくれで判断したからこういう状況になった。
追記1)今回、私の右前に「女」がいることに初めて気付いた。女は私かアモンの気配を知り、振り向こうとしていた。
追記2)人物が遠方にいる場合は、背丈が小さく見えるわけだが、遠くに視線を向けると、立ち位置が上の方に上がる。