◎エジコの効用
二歳手前の頃、私は画像のような「エジコ」に入れられていたようだ。
朧気だが記憶もある。実家は商店だったが、その店先の隅で、こいつに入れられて景色を眺めた。
籠の中は割と暑いし、退屈なので足をバタバタさせた。
母の姿も憶えているが、あの頃はまだ母は二十台だった筈だ。
今ではたまに郷土資料館で見掛ける程度だが、昭和四十年台の初め頃までは実際に使っていたようだ。
そこはそれ、私が育ったのが北上山地の山の中だし、当時のこの地域は「日本のチベット」と呼ばれる辺境だった。
その後、子どもの教育の見地から問題が提起され、防護柵の方にシフトして行ったのではないかと思う。
エジコの中で、幼児はほとんど身動きが取れぬほどで、どこにも行けない。
ちょうど一人で歩けるようになっている頃で、放置すれば危険だから、これに入れたのだろう。農家では目の届かぬところが沢山あるし、用水路も間近にある。
最近、二歳の幼児が雨の日に一人で外に出て、行方不明になる事故があった。海まで流れて行き、そこで発見されることになったようだ。
家の鍵を開けて外に出て、道路を歩いて用水路に落ちたのだろうが、二歳くらいの幼児でも大人の想像を超えるところに動いて行ける。
エジコは子どもにとっては苦痛そのものなのだが、エジコに入れられた子どもが死ぬことはない。親の側からすれば、これも「愛情のかたち」でもあったわけだ。
ただ、今なら人権的にドータラとか、子どもの心理にドータラと言われそうだ。
(当事者的には「本当に苦痛だった」が率直な感想だが。)
追記)最近、子どもの頃の細かなことをよく思い出す。
「人間は生まれてから死ぬまでの一秒一秒の記憶を総て憶えている」というが、どうやら事実のようだ。
「忘れる」のは「失くなる」のではなく、引き出しに仕舞ってあるだけ。
「エジコ」は、たぶん、漢字では「嬰児籠」と書くのではないかと思う。