日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「リュックの女(583)」の追加観察

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令和三年五月三十一日撮影(左二枚)、および令和二年十一月二十三日撮影(右一枚)

◎「リュックの女(583)」の追加観察

 他人に見せるのを躊躇するのは、この辺の画像からだが、若い人にはむしろ見せるべきかもしれぬ。

 さて、病苦ならまだしも、心の悩み(失恋とか)が原因で自死すると、多くは死の直前の姿のままでいる。

 そんなことなら、死んでしまうのを止めた方が無難だ。「それまでの生き方」を捨て、別の地に移り、名前も替え別人として生き直した方がよい。

 また、「もう死のう」と決意して、実行するのを「半年後」と決める。その期間を過ごしているうちに気が変わることがあるから、その場合はやり直せる。

 それでも決意が変わらぬ場合は、直前の苦痛の少ない方法を選ぶことだ。

 (もちろん、勧めているわけではないので、念のため。眼玉や舌を飛び出させた姿ではいたくないだろうという意味だ。)

 自死の場合、あの世で自我が目覚めるのが十数年後で、かつての周りの人は既に当人のことをほぼ忘れている。

 故人を思い出し、ご供養してくれる身内も少なくなっている。

 

 あの世(幽界)で眼が覚めても、多くは自分が誰かも分からない。既に思考能力を失っているためだ。睡眠中にトイレに起きることがあるだろうが、あの寝起きの時のぼんやりした状態よりも、さらに一段も二段も頭が働かない状態になっている。

 その後は何年も何十年も「深い闇」の中を彷徨うだけ。あの世は寒いから、心底より冷えて、ガタガタと震えるほどだ。

 

 そして、近くに何かしらの気配を感じると、それに飛び付く。現状から脱したいのだから、それも当然だ。

 相手が暖かいのは、それが生きた人だからで、その時、自身は人に憑依する悪縁(霊)になり果てている。

 まさに「地獄」とはそれなのだが、死ぬ間際に感じていた苦痛とは比べものにならぬほど苦しい。

 自死などやめとけ。放っておいてもいずれは死ぬ。

 せいぜい夜逃げにしとけ。

 

 イリス(女の悪縁)の姿も繰り返し添付することにした。

 これは「怖ろしい悪霊」ではなく、「死を上手に迎えられなかった者」がいずれなる姿、すなわち皆さんの将来の姿かもしれない。

 「あの世」(または「死」)について語る者の多くは、「いかに悪縁(悪霊)の難から逃れるか」を訴える。だが、それよりもっと大切なことは、「いかに自分が悪縁(悪霊)にならぬように済ませられるか」ということだ。