



◎古貨幣迷宮事件簿 「いまだにあれこれ出て来る」
外部入札専門誌に送る古貨幣をまとめつつ、関連団体に古物を寄贈している。
だいぶ片付き、自室の床が見えるようになって来た。
部屋の本棚は、迷路のように入り組んでいるので、そのひとつを少し動かすと、バラバラっとコインブックが落ちた。二列に並べていた後ろの列に差していたわけだ。
中を開くと、別にどうということのない普通の品が入っている。
なぜこんなものを?
最初のページを見ると、その理由が分かった。
見本にする品を小分けにしていたのだ。
「これはどこの誰が作ったのか」に関連し、何らかの迷いが生じた時に「原点に立ち返る」ために揃えたものだった。
左側一列は仙台通宝(本銭)の大・中・小。
右の上から二枚は、遠目でも分かる栗林銭だ。
高炉製で、母型(母銭)からの特徴が出ているから、ひと目で分かる。
鉄銭は粗雑で、鋳所等を分別できないことが多いのだが、これだけ鮮明なら、確かに見本として取り置く。
「どこがどう」とはもはやもちろん書かないわけだが、割合、用意周到だったらしい。
最後の「五十文型」は貨幣ではなく玩具だ。軍人将棋のように、将校・兵卒の階級が記されている。今は誰もやらなくなった遊びなのだが、揃いで見たことが無いので、もし揃えられれば価値が生じると思う。
この一枚を取り置いたのは、今、残っているこの手の品が「ほぼ真鍮製」で、「鉄製は割合少ない」という理由になる。
ショックだったのは、本棚の後ろに落ちたブックには、近代銀貨のそれがあったことだ。
昨年、銀地金相場が上がってきたことから重量売りで処分したのだが、まだ残っていたらしい。
銀を地金相場で売るには、重量をまとめる必要があるので、それなりに揃える必要がある。ちょっとゲンナリだが、これも仕方ない。
蔵出し作業は今晩中かかりそう。嫌気が差していることをやらされるのは、さすがに気が重い。これもサクサクと前に進めなかった自分自身のせいだと思う。
追記)部屋の整理をしていると、また隅から「原貝貨」と「和同(写し)」が出て来た。いずれも中国銭セットからこぼれ落ちた品かは分からない。
後者の「和同」は背の状態や地金から見て中国銭だと思われる。割と古く、百年以上は前のものだと思う。贋作ならこんなに小さくしないので、意図は別にあった。
このサイズの「貨幣型」なら、供養錢の類ではないかと思う。
たまたま混じったのか、あるいは意図的に作成したのかは分からない。