






◎古貨幣迷宮事件簿 「南部仰宝では見つからない」
昭和五十年代に、地元で白銅の参考絵銭が作られた。その際、同時に寛永銭の母銭も作られたようで、純白ややや黄色い母銭が残っている。
当品は、その参考品のように古色ほとんど出ていない品だったので、「これも偽物か」と思い、最近まで雑銭箱に放り込んでいた。
今は、収集品の整理を進めているから、その一環で残り物を見直してみた。
すると、輪側の仕上げにグラインダを使っていない。それで、昭和五十年代のものとは「別の品」だと分かった。
黄銅なので、青銅のように簡単に腐食が進むわけではない。
そもそも、型自体が普通の仰宝母銭より古いもののようだ。
「子から母は生まれない」から、偽物ではなく状態が良かっただけらしい。
この辺、偽物をあれこれ見てしまうと、余計に目が曇る。
水戸から南部(盛岡)にもたらされた寛永銭の銭種には、「仰宝」や「広穿」などがある。
南部領は地金が赤いのが普通なのだが、領内で発見される当該銭種の中には、地金が黄色いものもある。空気に晒しておいたところ、それらと同じ色合いになって来た。
さて、「仰宝」と言えば、過去の銭譜には、拓本が一枚(か二枚)掲載されるだけのことが多かった。要するに「一手のみ」ということ。
存在数が多い割には変化が乏しいように見えるという、その見本のような銭種である。
南部に限って言えば、母子とも「鋳地を特定できる品もある」わけだが、しかし、これは銭容を手掛かりとするから、分類には不向きである。
ただ、幾らか型の違うものもあるようだ。
掲図の(1)黄銅母は、「寶」字の「珎」の左点が直立しており、かつ線書きになっている。
長い間、同じものを探して来たが、南部仰宝では「それっぽい?」品しか見付けられない。
母子とも他の人のコレクションを含め観察して来たのだが、完全に同じ特徴を持つものは無かった。
ただ、水戸の段階ではいくらか存在しているらしい。
二枚目が見つからなかった銭種だから、もし蔵品の中にこれがあれば、希少品に化ける可能性がある。
寶字の前足が強く折れ曲がり、かつ上部が長いという特徴もあるが、これは通用銭の中に散見されるので、おそらく早い段階で枝分かれしたもののようだ。
水戸と南部は、共通の銭種を持つが、型や地金の存在比率がかなり違う。
この辺もよく調べてみると面白いと思う。
過去に言及の少ない銭種は、一定の存在数があれば、それに応じた変化がある。
「どれも同じに見える」のは、単に「見ていない」だけだと思う。
(なお当品は「今月の処分品」にする予定である。「南部の黄銅」で一つ上評価くらいから。でも、いずれは「化ける」銭種だ。)