![f:id:seiichiconan:20200308051620j:plain f:id:seiichiconan:20200308051620j:plain](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/seiichiconan/20200308/20200308051620.jpg)
![f:id:seiichiconan:20200308051548j:plain f:id:seiichiconan:20200308051548j:plain](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/seiichiconan/20200308/20200308051548.jpg)
◎<古貨幣迷宮事件簿>水戸接郭の南部写し
盛岡藩では、鋳銭開始の当初に、砂づくりが上手く行かず、水戸藩に指南を請うた。
水戸小梅藩邸に使者数名を送ったのだが、その折に鋳砂と母銭を持ち帰った。
このため、盛岡藩の貨幣・絵銭には、水戸藩のそれを踏襲した品が多々ある。
すぐに思いつくのが、寛永当四銭仰宝であり、大黒銭、虎銭である。
当百銭でも、水戸短足宝などは、正規母銭から作成したと思われる品(南部銭)が存在している。
そのせいで、雑銭からこれを見つけた時には、少なからずドキッとした。
各所で変化しているが、元は水戸接郭と言われる銭種に近似していたからである。
もし接郭の「南部銭」であれば、短足宝以上の希少品である。
しかし、製作を見る限り、栗林や浄法寺山内の藩鋳銭とは思えず、「南部銭」ではないようだ。要するに「南部写し」ではないかと思う。鋳所不明(不知)品としての、「水戸接郭の南部写し」ということである。
裏の金色などは、南部銭そのもので好感がもてるが、同時に「これがもう少しきれいに抜けていたら」と溜息が出る。
しかし、刔輪等の変化もあり、いずれ「化ける」可能性もある。刔輪が接郭段階のものか、写しの段階のものかは現状では判断がつかない。
なお3月期の処分品は15日に入札を開示し、20日前後を〆切りとする予定です。
世情を反映し、かなり下の価格でスタートする予定ですので、買い頃になると思います。13日頃から「古貨幣迷宮事件簿」を参照してください。