日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「新年クイズの回答」

◎古貨幣迷宮事件簿 「新年クイズの回答」

 出題は「掲示した七福神銭ABの違いは何か」というものだ。

 この設問の意図は、「自身がどれだけ物を見ていないかを知る」ところにある。

 七福神銭は全国に流布しており、ごくありふれた素材だ。

 皆がそう思って軽視しているから、手に取って見ることもない。

 そういう銭種だ。

 だが、「何も無い」のは、見る側の関心と注意力だ。

 AとBの相違点について、誰が見ても頷く第一番目の項目は「七福神の配置が違う」ことだ。

 01の基本型は郭右側には「布袋尊」が安置されているのだが、22南部七福神の郭右は寿老人と取り替わっている。これは各々の福神さまの持ち物を見ればすぐに分かる。

 「七福神」でイメージするのは宝船に乗った姿なのだが、「たぶんあの並びだろう」と皆が思っている。だが、実際には宝船での並び自体、決まっているわけではない。

 そうなると、例えば絵銭製作に当たっては、既存の品を単純に写す方法だけでなく、新たに母型を起こす手法が多用されていることになる。これは、絵銭「座」が小規模の町工場サイズでも対応できたという背景にも関係している。

 

 このBには「南部七福神」と名を打ってあるが、参考掲示した品には「浄法寺七福神」としてある。これは何故?と思った人もいるだろう。(いて欲しい。)

 出題に際して輪側の状態を示さなかったのは、二番目の要件と関係しているからと言うことになる。

 「浄法寺七福神」は「寄郭(よせかく)」という手で、穿に竿を通して仕上げに掛ける際に内郭が破損し、面から見て「左下に郭が寄った」ことによる通称名だ。これはかなり古くから浄法寺で作られたものとして知られており、これを既知と見なすのは前提となっている。意匠(図案)が独特で、福神なのに痩せているから、貧乏藩を象徴するような品になっている。郭の寄り方は程度にばらつきがあるので、これと同じ意匠であれば、寄っていてもいなくとも「寄郭」と呼ぶ。

 興味深いのは輪側の仕上げ工法だ。22南部七福神と51浄法寺七福神の処理方法は「ほぼ同じ」手順に依っている。

 22の金味は赤味が強く、いわゆる「南部赤銅」だから、「こっちも浄法寺七福神でよいのではないか」という意見があると思うが、ひとつ引っ掛かるのは、ここでも「意匠に相違がある」点だ。51は01の基本型と同じに郭右には布袋尊が配置されている。

 さて、ここからもう一つ重要な知見が開ける場合がある。

1)各地でその地なりの七福神銭が作られている。

2)貨幣と異なり、絵銭は信仰の対象で流動性が乏しい。

 このことによって、七福神銭の意匠の特徴が「その地固有のもの」になっている可能性が開ける。

 すなわち、場合によっては、七福神の配置を見るだけで、「これはドコソコの地方で作られたもの」という見解を導き出せるようになるかもしれぬということだ。

 

 さらに、幕末奥州では密鋳銭が盛んに行われたが、寛永銭・天保銭を密造する銭座で、絵銭も作ったケースがあるので、両者を照合することにより、寛永銭をどこでどのように密鋳したかを推定する手掛かりになるかもしれぬ。

 どうだ。パアッと視野が開けただろ?

 

 結局は古貨幣収集も「ただの道楽」で、収集家は見たいものしか見ていないということ。

 こんなことに気付かぬとは「薄らナントカ」だと思われるが、なあに、そういう私も七福神の詳細に目が行くようになったのは最近のことだ。 

 ちなみに、22南部七福神の「配置替わり」は木型を掘って作成した新規銭種(意匠)だから、他領銭の「写し」とは性質が違う。存在自体も希少で、奥州の七福神銭50に対し1あるかどうかだと思う。私が自分の手で拾えたのは、この一枚だけだ。

 すぐに蔵中を点検するとよい。

 南部銭を好む人が多いのは、粗雑だがつくりに味があることと、銭種が多様なこと。そして、殆どの氏素性が分かっていないことによる。

 つい最近まで、「ボウ鋳(ボウは字が出ない)」「密鋳」の背千写しの欄には、一枚の卓が示されたきりだった。地元の人でさえ、その「興味を持たぬ人」が作成した銭譜を手本にしたので、体系的に研究しようとする人がいなかった。ここは「少なかった」ではなぃ「いなかった」と断言して置く。

 繰り返し記す通り、南部銭のバイブルというべき『岩手に於ける鋳銭』をまともに読んだ人は故Sさんの周辺数人しかいなかった。読んだことが無いのに、あれこれ言う人が総てだったのだ。

 それに気付いた時から、私自身を含め古貨幣の収集家は「こいつら」「もどき」になった。何十年収集しようが、いまだ素人以下ということ。

 そもそも手の上の銭からも山ほどの知見が得られるのに、何ひとつ見てはいない。

 この出題はそういう意図だった。

 

 さて、今回言及しなかったが、面白いのは地金で、浄法寺天保(本銭)と照合すれば楽しめると思う。浄法寺七福神銭と確定できれば、当百銭よりも少ない銭種なので、さらに一段化ける。もう一度記すが、この銭種は南部当百よりも存在数が少ない。

 ひと回り大きく、やはり右寿老人のペッタリした型もある。これは「浄法寺銭」にされていたと思う。だが、印象だけでものを語っていては進歩など無い。その都度右往左往するだけ。必要なのは実証だ。

 「史料が無い」なら手順を踏んで類推して行けばよいだけ。想像だけでものを語るな。

 

 笛を吹いた時には「とりあえず踊ってみよ」の言葉通りに、若手が数人ほど回答を寄せてくれた。まだ正解と認めるわけには行かぬのだが、きちんと記憶に留めておく。

注記)療養中にあり、総て推敲、校正なしの一発書き殴りとなる。記憶だけで記しているので、不首尾は多々あると思う。