日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「誰がどういう風に作ったのか」(出題の解題)

f:id:seiichiconan:20220123174253j:plain
f:id:seiichiconan:20220123174244j:plain
f:id:seiichiconan:20220123174233j:plain
f:id:seiichiconan:20220123174224j:plain
f:id:seiichiconan:20220123174215j:plain
南部地方の鉄絵銭

◎「誰がどういう風に作ったのか」(出題の解題)

 先日、若者に宿題を出した。

 送付した「両面福神銭(鉄)」と「七福神銭(鉄)」の違いは何かという出題だ。

 しかし、一月は学生が試験機関に入るから、余計に煩わせることになるかと思い、後で少し後悔した。

 さらに、送付した福神銭の画像が手元にあると思い込んでいたが、残していなかった。

 そこで説明の仕方を変える必要が生じたわけだが、画像を多用するのでこのブログに記事として記すことにした。

 

 南部の鉄銭の難しい点は、銭種で鋳所を見込むことが出来るケースが少ないことだ。

 どの銭種であれば、どこの銭座で作られたものと特定出来るのであれば簡単だが、他座への伝鋳銭や、密鋳銭座での転用もある。

 大きな括りで言うと、山内座が大迫より水戸流鋳銭技術の指導を受けた際に、大迫、栗林の銭種(母銭)が山内座に渡っている(ものもある)。 

 山内座の母銭の製作を見ると、ごく初期と、次鋳に際しては、黄銅の地金を採用している。母銭の仕様が似ており、双方で同じ銭種を作っているのであれば、ほとんど見分けがつかぬことになる。

 そもそも、鉄銭は出来が悪く、面背の意匠すらはっきりしないことが多い。

 ところが、考えようによっては、それこそが鉄銭の最も楽しい面であると言える。

 謎解きが難解であればあるほど、やりがいが生じるわけだ。

 

 これを解明するための糸口は幾つかある。

 冒頭で大迫、栗林から山内(浄法寺)への伝鋳を記したが、双方を隔てるものは鉄の地金の違いだ。概ね高炉鉄を主要な原料とする銭座と、たたら鉄を使用する銭座と分けられる。まずは地金と製作を観察することが第一歩になる。

 まずは型の出自を調べ、次にその製作が実際のものと一致しているかどうか。

 そういう目の付け所になる。

 

 現物(両面福神)が無いので、周辺の鉄絵銭について『南部貨幣史』より銭種ごとの出自をしるし、実際の地金や製作に関する合わせをしてみる。

 03から05までは、大迫や橋野が起源とされているわけだが、実際に高炉鉄を利用している。06は再鋳銭(銑鉄やづく鉄を再熔解して作ったもの)であることから、この品は概ね大迫製とみて差し支えない。

 この場合、「この品は」と言う意味で「この銭種は」とはならないので注意が必要だ。

 07~09は七福神銭だが、七福神銭は難物で、公営・請負、あるいは密鋳銭座に関わらず作られている。

 07、08は何とも言えぬところもあるが、高炉鉄由来である可能性の方が高いと思う。

 さて、09は送付品の七福神だが、これはたたら鉄製で、かつ銭径の小型化も著しいので、「規模の小さな密鋳銭座」で作られたような見すぼらしい品となっている。

 銅絵銭なら、初期の見栄えのする大型銭が好まれるだろうが、鉄銭はそれとは真逆で、「小さく見すぼらしい素朴な銭」の方が少なく、味がある。

 画像には漏れているが、送付した両面福神銭は谷に鋳不足が出来ている。

 これは極限までに銭を薄くしようとしたもので、鉄絵銭の本物は薄い仕立てだ。これが厚く図案がはっきり出ているような品は後出来の可能性がある。

 何故薄くしたのか。

 それは「大量生産の中に交えたので、極力、素材を節約したかった」ということだ。

 

 今回の宿題の答え方はふたつ。どこの銭座のどういう銭種は必要なし。

 ひとつ目は「福神銭は鉱鉄由来の鉄で、七福神は砂鉄」。

 二つ目は「福神銭は大規模な銭座で作ったものだが、七福神銭は小人数が運営する銭座で作られた」。

 まずはそこからで、後は考えなくともよい。考えるのは実際に様々なパターンを目にしてからでよい。

 銅の絵銭と鉄の絵銭の決定的に違う点は、鉄の絵銭は「自分たち用」に作ったもので、販売意図があまりない点だ。銅銭は「お守り」的な扱いで売られた形跡があるが、鉄銭は無い。配られたか、銭座の安全祈願のために作ったのだろう。

 

 ちなみに、小型の鉄七福神としては、09が「かなり良い」部類に入る。

 

追記)両面福神(大黒恵比寿)に山内錢があるのかという疑問が湧くわけだが、大迫には鉱鉄、づく鉄の再鋳銭があり、地金が近いものもある。大迫銭の出来が「揃っていない」印象になるのはそういう理由ではないか。

 大迫、山内の仕立て上の違いは、材料の節約への配慮の仕方という点だ。山内銭は砂鉄には割合無頓着で、厚手の品が残っていたり、逆に軽量化を図るやり方も「母銭全体を薄く削る」という乱暴な手法を使っている。

  

注記)いつも通り、推敲や校正をする余裕は無し。記憶だけで記しており、不首尾はあると思う。