日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「七福神ほど面白い絵銭は無い」(その3)

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奥州における七福神銭の変化(その3)

◎古貨幣迷宮事件簿 「七福神ほど面白い絵銭は無い」(その3)

 さて、七福神銭の話の続きだ。

 「絵銭には一定の地域性がある」

 「密鋳当百銭や寛永銭のつくりに似たものがある」

 となると、密鋳銭の解明についても絵銭製作の研究が重要だということが分かる。

  型の違いやその多い少ないで満足できるならそれでもよいが、窺い知ることの出来る情報がはるかに多く存在している。

 (今日は体調が悪く、いつも以上に皮肉めいた表現になるので予めお断りしておく。)

 

 「鬼柳」は象徴的な地名だ。

 南部側ではこんな故事を伝える。

 南部大膳(信直)と伊達政宗が各々の持ち分(領地)を決めるために、各々が居城から出発し、双方が落ち合ったところを国境にすることにした。

 この時の約束事が「四つ足に乗って移動する」というものだったので、南部大膳は牛に乗って出発した。南部領では急坂が多く、荷物を運ぶのは多く牛による。

 伊達政宗岩出山城から馬に乗って出発したので、双方が落ち合ったのは鬼柳付近になった。南部側の昔語りではこの後に「何と南部人は愚直なことだ」と続くが、もちろん、仙台側の話は違うと思う。

 改めて言うまでもなく、これは作り話だ。伊達政宗は当初より関白に「葛西大崎を平定し自領とせよ」と命じられている。それも関白秀吉に政宗の叛意を疑われての措置だった。

 葛西氏の所領は元々「五郡二保」で、平泉を中心としていたが、後に南に領土を拡大しそちらに移ったから、「元は南部のものになる筈」ではない。

 これと同じような話はどの地域にもあり、国境に関する「定型故事」のようなものだ。

 

 ともあれ、「鬼柳」という地名は南部方にとってすれば、何とも癪に障る響きがある。些細なことだが、こんなことが積み重なり、隣同士はあまり仲が宜しくないことが多い。

 南部仙台はまだよい方で、南部津軽はもっと過激だった。

 津軽藩の初代津軽為信は、南部方にとってすれば、あくまで大浦為信という家臣出の者と言う扱いになる。(津軽では違うことになっている。)

 国境争いもあったのだが、直接的には文政三年の「高直し(各藩の禄高の見直し)」の際に、津軽藩盛岡藩を超える十万石に叙せられたことがきっかけで仲が険悪になった。このことが元で、後に相馬大作という南部藩士が予め脱藩した上で津軽藩主を狙撃する事件まで起きた。

 今で言えば、元々ある者の「部下だった者が上の役職についた」ので、今の部下が元部下を襲撃するような出来事だ。アリエネー話だが、当時は「忠臣蔵」のような義士の話として扱われたらしい。やはり時代によってセンスが異なる。

 

 鬼柳からだいぶ脱線した。

 話を元に戻すと、奥州全域で見られる仙台出自の絵銭の代表が七福神銭で、各地でそれが展開した。

 南部領ではどのように展開したのか。これが今回のテーマだ。 

 系統的に述べることなどは到底出来ぬが、状況を垣間見ることなら出来る。

 ①改造銭は仙台絵銭の輪穿に加工を施し、鉄銭の母型として使用したものだ。

 刀入れには程度の差があるようで、この品であれば丁寧でもきっちりでもなくざっと入れた程度だが、これに符合する粗末な密鋳鉄銭が存在する。

 ②意匠替は「①と違う絵柄のものがある」と示す意図による掲示だ。七福神銭はどれも同じように見えるかもしれぬが、それは単に見ていないだけ。ただ鋳所は推測出来ぬ(たぶん仙台)。

 ③不明銭は、銭径が①②より小さいのに内部の意匠は大きい事例になる。粗末な出来で南部領かもしれぬ。

 ④寄郭手(浄法寺)は前期ア説明した通り。新規に母型を掘ったもので、郭が左下に次第に寄せて行った。この品はあまり寄せてはいない寄郭なので「寄郭手」として置く。なみに、よく似た色合いだが、作り方が新しいので⑤は昭和の作品だと思う。小型のこの手の絵銭の写しが昭和に沢山作られた。

 

 ⑥は南部赤胴だが幾らか固いので、秋田の人は寺領のものと述べるかもしれぬ。

 ⑦は八戸銭で、木型に意匠を彫刻し、判子のように砂笵に押して型を採った。このため背はのっぺりしている。通常は面背を貼り合わせて一枚の母型を作るのだが、無頓着に片面だけで作成した。

 

 さて、⑧からは南部独特の展開になる。

 ⑧は中型銭で、銭径も意匠も通常サイズの銭より二回り大きい。

 木型を深く掘ったので、細部が細かく入っており、そのせいで鋳出しがきれいではない。この地金は「打出大黒・恵比寿」銭の初期のものに似ているので注意が必要だ。 

 は幾らか銭径が小さくなるが中型系統のもので、意匠はむしろ⑧よりこの方が大きい。タイプの違う中型銭だ。大型・中型は銭外径のことではなく、意匠(絵柄)のことだ。銭外径で言えば、①あたりと近くなるので、収集家的な言い回しを使えば「中型の小型」銭となる。

 この「神さまが大きい」七福神銭には、仙台の配合とは異なる白銅銭がある()。

 改めてここで③を持ち出すと、③は周囲の銭より意匠が大きいから、むしろこの近くに位置付けるべきかもしれぬ。

 

 さて、中型七福神銭は普通の七福神銭より明らかに大きいのに、何故「大型」ではなく「中型」なのか。それは大型七福神銭が別に存在するからだ。(続く)

 

注記)いつも通り一発殴り書きで、推敲も校正もしない。不首尾・誤記・誤変換は当然ながらあると思う。