◎古貨幣迷宮事件簿 「P22 大黒銭あれこれ」
一文銭より一回り小さい小型の大黒銭は、どこにでもあるありふれた銭種だ。
コイン店を見て回れば、どこでも置いている。
バラエティの広がりがなく、つまらない。
そう思っている人が多い筈だが、これも「密鋳背千」と同じ性質の傾向だ。
銭譜にはポツンと見本が一枚だけ。だが、実際には何百の型が存在する。
「これまで体系的に研究した先人が少ない」ので、テキスト(手本)がないことと、どこでどういう風に作られたかと言う情報がほとんど得られぬことが影響し、なかなかその世界に入っていけない。出自(氏素性)も、口碑(言い伝え)に頼るしかなく、その言い伝えが、もっともらしく拵えた作り話だったりする。
割と大量鋳銭を行った絵銭座は、銭座とは別の括りで、貨幣と絵銭を同時に作ることはあまり多くなかったらしい。
だが、地方に行くと、さらに鋳銭の規模が小さくなるためか、銭座で絵銭も作った。
盛岡藩では公営・請負の銭座で、その座固有の絵銭種がある。
また、他地域の絵銭種を参考に、鋳写したり、真似て作ったりして、自地域なりの絵銭を作った。神社・寺社は各地にあり、信仰には何かしらのシンボルが必要だ。
割と小型の福神銭には、多種多様なものがあるが、その代表格が、恵比寿・大黒である。ちなみに、時代や地域によって信仰の重心が違い、例えば江戸中後期には仙台では「七福神」信仰が盛んになり、七福神をモチーフとした絵銭が沢山作られた。
今、見掛ける七福神錢は江戸から明治大正までの範囲で、仙台で作られたものが割合多い。
たまに、神社境内で販売された「福神絵銭」が紙包みのまま見つかることがあるが、この紙には神社名が記してあるから、絵銭だけを離してホルダーに入れてはならない。
その包装紙は「どこで」を指す具体的な資料であるからだ。
さて、江戸など大きな町で流布された絵銭の素性を探るのは大きな困難を伴うわけだが、地方の限られた地域のそれは、まだ幾らか手掛かりが存在する。
絵銭は貨幣ほど流通性が高くなく、配られた地域周辺に多く残っていることと、前述の「銭座で絵銭も作った」という背景があることによる。
要は、貨幣と絵銭の製作を比較参照することで、「どこで作られたか」「配られたか」を類推する手掛かりが生まれるわけだ。
その意味で、昔から南部(盛岡・八戸)は「絵銭の宝庫」であると言われて来た。
多種多様の変化が見られることと、ある意味、「手当たり次第に作った」感があるから、口さがない収集家に「南部には何でもある」と揶揄されたものだ。
私はこの地域で生まれ育ったが、ある意味、「本当だ」と思う。南部産の希少貨幣の幾つかは、明らかに作品だが、今も「珍品」の扱いになっている。
脱線したが、絵銭が南部領に入ってからは、「どこで」の疑問に答えが見付けられる品がある。
掲示の大黒銭は、いずれも「米俵の上に大黒が立つ」意匠となっている。
前の二枚はどこで作られたか分からぬが、割と古い製作だ。
分かるのはそこまで。
だが後ろの二枚には、やれることがまだ幾らかある。
南部銭の収集家だった故K村氏は、この大黒を「浄法寺銭」と分類した。
その理由は、専ら製作で、粗雑なつくりが浄法寺銭のものということだろう。
ちなみに、地元の者が言う「浄法寺銭」は、幕末明治初年頃の「浄法寺山内銭」やその周辺の「民鋳銭(異永類)」、および「称浄法寺銭」までの範囲を漠然と言う。
(なお天保当百の仕立て・半仕立て銭と、鋳放し銭については、地元での見解も様々だ。)
ただ、ニのように、八戸背千のパターンのひとつに完全に製作が一致する品もある。意匠自体は、ハとニは「ほぼ同じ」と見て良いようだが、地金も似ている。
果たして、ハが浄法寺の産物なのかどうか。
ま、この地方には「南部銭」という便利な用語があるから、今のところ「南部銭」という括りで済む。
この四つの大黒銭を並べてみると、「足元の図案が異なる」ことは歴然だ。
仮に後者ふたつの出自が浄法寺なら、「木型で原母を彫った」可能性があるし、八戸なら「文銭などの型を改刻した」かもしれぬ。
これだけで充分に楽しめる。
とどのつまり、「南部は絵銭の宝庫」なのだ。
ところで、子どもの頃、二階に上る階段が箱型で、踏み台の下が納戸になっていた。
小学生の時にそこを開けてみると、奥に木箱があり、その中に古銭が何百枚か入っていた。
半分が寛永銭で、残りが絵の付いた銭型や何も刻まれておらぬのっぺりとしたものだった。絵銭や面子銭は、父たちがあちこちから貰ったものだったらしい。
その時に、こんな黒っぽい色の大黒銭を見た記憶がある。
これらがどういうものかを知ろうと思い、コイン店にまとめて持って行ったら、店主はひと言も説明せず、「はい。千円ね」とお金を差し出し、そそくさと古銭を仕舞い込んだ(大笑)。
書き洩らしたが、イは型が大きいので、長らく「母銭ではないか」と思っていた。(実際は少し大きな通用銭だ。)
絵銭は「よさげな品で次の子を作る」ことがあるから、立派でなくとも母銭であったりする。南部であれば、鉄の子銭があり、こちらは銅銭用の母銭よりもかなり見すぼらしいが、やはり母銭だ。(穿や輪の加工に決まったルールがある。)
割と最近になり、「母銭の摩耗には横ズレが少ない」ことに気付き、使用済みの母銭についてはマイクロスコープで簡単に見分けられるようになった。
ただ、未使用の母銭には、この手法を適用できない。
注記)記憶のみ、一発殴り書きで、推敲や校正をしない。よって、不首尾はあると思う。あくまで日記の範囲ということで。
掲示の品はいずれ多媒体の入札等で処分することにしている。