日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎和解の道を探る

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箭弓神社(東松山

◎和解の道を探る

 もし私が「私が今置かれた状態と同じ状態にある人」から現状の相談を受けたとする。その時にどう答えるのか。

 私は占い師やカウンセラーではないから、きっと見たことや直感が示すことをそのまま答えると思う。

 現状を自覚するためには、同情や慰めなどを交えては事態を余計に悪くするからだ。

 たぶん、私はこう答える。

 「あなたは重大な危機に直面している。障りを鎮める手立てを講じることが大切だ。それと同時にある程度覚悟して、最悪のケースに備える必要がある。死んでもそれで終わりではないから、死後の苦痛を軽減する手立てを講じるべきだ」

 

 私は今、「常識外れ」のことを記している。

 これは例えば、私の死後、親族や友人知人が「そう言えば、あの人は死に間際にこんな奇妙なことを言っていました」と語るような内容だ。

 この手の話は世間でよく聞く。

 そもそも一二か月前の「自分が下を通る時だけ灯りが消える」という出来事だけで、今がのっぴきならぬ事態だというのが歴然だ。ホラー映画ではよく出て来るが、現実には起きないことだ。

 だが、私はそれを差し迫った事態とは考えなかった。

 これまでもそれと似たような出来事を経験して来たから、鈍感になっていたのだ。

 だが、昨日のように、電機製品がどれもこれも「きゃああああ」と叫ぶのを聞いたなら、「障りを抱えている」のは歴然だ。

 幽霊の姿を見ても、あるいは声を聞いても、直接に自分に関わろうとするものでなければ、大概は平気なのだが、それが手を伸ばし捕まえに掛かっているとなれば話は別だ。

 これから間に合うのかどうかは分からぬが、対処策を打って行く外はない。

 

 前段の話に続き、私が「自分に残された時間はあとどれくらいか?」と訊いたとする。

 その時の私の答えは、「あとひと月は無いと思うべき」と答えると思う。

 

 総ての起点は、昨秋のあの村社だ。お寺の一角にある稲荷堂は、背丈の高い雑草の中に隠れていた。

 周囲がかなり荒れていたから、手入れもなされていなかったようだ。

 たまたま私が気付き、領域の中に立ち行ってしまったので、そこに留まっていた邪霊に見付かってしまった。

 心停止を経験した後、私の存在は幽霊の側から見えるようになっているらしく、これまで幾度も「何かが後をついて来る」経験をしている。

 側頭部の右側に蜘蛛の巣がかかったような感覚があり、幾度も手で払ったが、蜘蛛の巣はついていなかった。今思えば、あれが私に幽霊が取り憑いた瞬間だった。

 

 その後は万事に渡りあまりよいことがない。

 体調が悪いわ、人事でも不都合な出来事ばかり起きる。

 この半年の間に失ったものは十指に余る。

 

 そうなると私が重大な危機に瀕しているのは疑いない。

 それなら、まずは可能な限り障りを鎮めるしか道はない。

 仮に間に合わずとも、死後も苦痛が続かぬように計らう必要がある。

 それなら、稲荷で始まったものは稲荷からやり直すしかない。

 

 そこで、この日は通院の後、すぐに東松山の箭弓(やきゅう)神社に向かった。

 「この地域の稲荷神社」と検索して、最初に出たのがそこだった。

 私の街からは鎌倉街道の一本道で、ニ十数キロだからすぐに着く。

 と思ったが、例によってカーナビが上手く働いてくれない。

 本線を逸れ、「左」→「右」→「右」→「左」に行けと指示する。これでは箱型に移動するので、要するに元の道に戻るだけ。しかもその間、ずっと渋滞だ。

 思わずカーナビに声を掛けた。

 「久々で機嫌が良くないのかもしれんが、俺も余裕が無いのできちんと行ってくれよ。寄り道している暇はないから」

 あの世の者が関わっていそうな時には、「丁寧に頼む」のがよいことを思い出し、頭を下げた。

 「よろしく頼みます」

 結局、二時間近く掛かったが、神社に着くことは着いた。

 既に五時に近く、もはや夕方だ。

 

 私は稲荷神社が苦手だ。

 若い頃、保谷の寮に短期間住んでいたことがあるが、そこで強烈な霊体験をした。

 すぐ近くには東伏見稲荷神社がある。

 それと関係があるのかどうか分からぬが、かなり後になり、その稲荷の前を通ったら、急に歩けなくなった。心臓に持病があるから、その時は「たまたま発症した」と思っていた。

 自宅の近くの村社も稲荷神社だ。地域の行事でその周囲を掃除したりするのだが、その都度、具合が悪くなった。

 幾度も同じことを経験して、共通点を探すと、「それが稲荷神社の近くだった」ということ以外には見当たらない。

 こういう事情で、以後は稲荷神社を避けて来た。

 おそらく何かしらの所縁があったのだろうと考えたからだ。

 

 心不全で死に掛けたという経験から、中に入ったら倒れるのではないかという不安があるだけに、鳥居を潜る時には緊張した。

 昨秋のあの出来事の記憶がさらに拍車をかける。

 

 まっすぐ本殿に向かい、そこで祈願をした。

 「私や私の仲間とどのような経緯があったのか、今生の私は知りません。腹を立てて居られる理由が分からぬのです。私には敵対する心づもりはありません。この後も、稲荷様の領域を侵さず、距離を置きますので、怒りを鎮めて下さい」

 稲荷神社には焼香場があったりするのだが、ここにそれは無かった。

 

 まずはこれが端緒で、可能なら直接因縁のある東伏見にも参拝しようと思う。

 対立を避け和解することが必要だ。

 どうしても相容れぬなら、互いに近づかぬように処することだ。

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 境内をひと回りすると、参集殿の前に出た。

 入り口にガラス戸があったので、自分自身の姿を撮影した。

 画像は予想通りだった。もちろん、同じ構図で何百回も見ているからそれと分かるので、当事者でなければ何のことかサッパリ分からぬと思う。

 私は直感が立っているが、いいわゆる霊感は無い。総てが経験によるものだ。

 一枚目には背後に壮年の男がいる。その後ろには、白い着物を着た女がいて、男を制御しているようだ。

 二枚目には、右後ろに女が顔の一端を覗かせている。その後ろには別の女らしき頭が見える。

 私の頬に小さな手が当たっているように見えるが、これは後ろのガラスに映る私の手かも知れぬ。

 だが、顔半分の女は私とはまるで違う。

 

 これらをどう解釈すればよいのか。

 頭の上に「黒玉」が出ているから、やはり良い状況ではない。黒玉は煙玉の一種だが、不吉な兆候を示すものだ。悪縁(霊)の周りにはこの黒玉が出る。

 画像に頻繁に黒玉が残るようになったのは、やはり昨秋からだった。

 一方、白い着物の女なら、もはや何年も前から現れている。

 一枚目では、女は「何事かを叫ぶ男」を制御しているようにも見える。

 男は昨秋の村社から着いて来た者だから、障りを為しているのはこの男だろう。

 では女は私サイドの者なのか?

 

 画像を拡大しようとしたら、二枚目の右側の女の周囲だけが白く四角く抜けた。

 「人目に晒してくれるな」という意思表示だと思ったので、改めて頼んだ。

 「私自身はともかく、他の者があの世を理解するのに役立つので、画像を使わせてください」

 すると、もう一度処理すると、今度はきちんと出ている。

 暗い影だが、少なくとも女の顔半分が私の横にあるのが分かる人は多いと思う。

 

 一度神社に参拝したからと言って、何かが劇的に変化するわけではない。

 これは神職や祈祷師の手でお祓いを受けても同じことだ。

 この後も、悪縁の怒りを鎮め、障りを止める手立てを打ち続けて行くことになる。

 残っている時間はひと月かそこらだ。

 

 ひと月後かあるいはふた月後に私は死んでいるかもしれぬが、極力、記録を残して置くことにした。

 稲荷神社の境内に入ったのに体調を崩さずに済んだと安心していたが、やはりその日の夜に具合が悪くなりそのままひと晩横になっていた。

 白い着物の女が私の仲間なら、すぐに死ぬという事態を回避できるかもしれぬが、しかし、女の表情はこの上もなく怖ろしい。これはあの世の者の常だから致し方ない。

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