日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎神域に獣を連れて入ってはいけない(522)

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令和二年八月十日撮影

◎神域に獣を連れて入ってはいけない(522)

 最近、体の具合が悪く、とりわけ脚は動脈硬化が進んでいるようだ。これは腎臓病患者には不可避な症状で、次第に血管がダメになって行く。

 お金も仕事も詰まっているし、気が滅入る日々が続く。

 しかし、この日は早朝から原稿が書けていたので、精神状態が落ち着いた。

 やるべきことをやって初めて、心が安定に向かうわけだ。

 そんな時に、昔、知人が言っていた言葉を思い出した。

 その人は年齢が幾つか上の女性だったが、別の人の苦境に関する話をしていた時にポツンとこう漏らした。

 「今抱えている問題が辛すぎると思えば、その夜を越すことすらできないように感じる。しかし、これくらいは誰の人生にも起きる「ちょっとしたこと」だと思いなせば、割合平気になる」

 ものは考えようで、人生も捨てたもんじゃない。

 言い回しは少し違うけれど、概ねそんな内容だった。

 世の中には、洪水や津波で財産の総てを失くしただけでなく、大切な家族をも失った人がいる。

 「俺など全然幸せな方じゃないか。もう助かりようがないという状況から幾度も這い上がれて来ているもの」

 そう思うと、「もう一回立て直そう」と思えるようになる。

 出来なくなった物事の勘定をするより、ゼロから積み上げて行く方がはるかに楽しい。

 

 それなら、きちんとあの妖怪顔に断らないとね。

 「俺はまだ仲間にはなりません。いずれ死んだら、亡者や悪霊の先頭に立ち、どうやって這い上がるかを考えるけれど、今はまだ別にやることがありますんで」

 そこで、早速、神社に参拝することにした。

 駐車場に着いたところで、思い返すと、五年前には「せめて百回参拝するまでは生きていよう」と考えて、「御百度」を始めたのだった。今は既に「五百度」を超えているが、それも、神社猫が助けてくれたということもある。

 

 神殿に行き、感謝の気持ちを伝えてから、車に戻った。

 心が晴れている時には、私の周りには一点の曇りもない。

 生活や人生を肯定的に考える者には、悪縁は寄って来ないものだ。

 

 この時期だし、旧盆休みに突入しているから、神社は暇かと思ったが、割と参拝客が来ていた。

 時々、あちこちに「神域に動物を連れて入ってはダメだよ」と書いているのだが、やはりあまり考えない人の方が圧倒的に多い。

 狛犬はその地を守っているが、それが犬や猫を快く迎えると思うだろうか。

 神社猫のトラは境内に入ることを許されていたが、それも鳥居の傍にいて、参拝客の案内をしたり、甘えて見せたりと、せっせと働いていたからだ。

 その猫ですら、神殿に向かう階段の上には、絶対に上がらなかった。

 建物の下にある休憩所にも入らなかった。

 

 私の後から夫婦が来ており、犬を二匹連れていた。

 たまたまガラスに映った私自身を撮影した時に、その夫婦も画像に入ってしまったのだが、すっかり寄り付かれている。

 奥さんの顔のすぐ脇には煙みたいなのが出ているが、こういうのは典型的な不味いヤツだ。階段の上から建物までは何もなく、木々や煙と見紛うものは存在しない。

 ダンナさんの方も、一見、ガラスの継ぎ目の二重映りに見せているが、継ぎ目の左側に右側にある筈の顔の一部が出張っている。

 表現が難しいが、同じガラスに顔が二つ映っているということだ。

 左右は同じ人のようでいて、実際は別々だ。

 極力、人の目に付かぬように寄り付こうとするから、よくよく注意が必要だ。

 私自身、当初はまったく気付かなかったのだが、「自分の右腕が膨らんでいる」ことで、改めて見直すと腑に落ちない箇所があった。

 

 こういうのは、かなり見慣れていないと、ごく普通の状態に見えると思う。

 でも、この夫婦はすぐに分かる筈だ。確実に家まで連れ帰ることになるからだ。

 かたちが見えず、「何となく嫌な感じの煙」の時の方が、「顔が見える」時よりも性質が悪いししつこい。

 墓地の中で犬を散歩させ、お墓の上に犬が小水や糞を落としたら、誰でも「不敬を働いた」と分かるだろうが、神域も同じ。

 特別に祀っていない限り、お寺や神社はペットを散歩させるところではない。

 稲荷神社に犬を連れて入る人はいないだろうが、どの神社でも同じで、獣を連れて入ったらダメだ。

 やや脅し口調だったが、「祟り」みたいなものが起きるわけではないので、念のため。ちょっと気分が壊れるとか、夫婦喧嘩をしてしまうといった程度のことが多い。

 単に「犬は公園で散歩させてくれ」という意味だ。

 

 ちなみに、私は稲荷神社がまったく合わず、鳥居を潜ると、その途端に気分が悪くなり動けなくなってしまう。出るとすぐに治るから、「相性が悪い」としか言いようがない。

 

 原稿ベースの『鬼灯の城』は、ついに九戸一揆のサイドスト-リーに突入した。

 天魔源左衛門など、お馴染みのキャラが活躍し出したので、書く方も楽しい。

 宮野(九戸)城攻めは、閏年の旧暦九月で、太陽暦では十月の末から十一月初めの頃だが、ちょうどその頃になると、あちこちの城に火の手が上がると思う(こちらは紙面上の話だ)。