日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎久々の参拝で    (345)

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◎久々の参拝で  (345)
 名栗までスイカを買いに出たのですが、帰路、急遽高麗神社に参拝することにしました。
 最近はあまり参拝する機会が無かったのですが、「参拝客の餌やりが禁止されたら、猫のトラはさぞひもじかろう」と思ったのです。

 平日の午後なので、人はまばらでした。
 入るときにはトラの姿が見えないと思ったのに、参拝した後で後ろを振り向いたら、忽然と現われていました。
 家人によると、「今は暑いから、とにかく涼しいところを探して移動しているのよ」とのこと。

 半年くらい前の画像に異常が出ていたので、再び、神殿前で写真を撮りました。
 久しく参拝していないので、「問答無用で出るだろうな」と思っていたのですが、左程のことはありませんでした。
 ま、いつも通り、当方の姿が消えてしまうことだけです。
 一歩横に動いただけなので、2枚目のは最初のより少し右側にいるはずですが。
 フレームから外れる距離ではありません。これは撮影者なのではっきり分かります。

 私のいた位置の辺りに「少し出ている」ので、前に立たれたということでしょうか。
 ま、紋の下のは笑っているようなので、さしたる影響もありません。
 前後の2枚のはっきりした違いは、「煙玉が出ていること」です。
 私は、たぶん、薄らぼんやりした煙玉の後ろにいます。
 帽子と顔が半透明ですが、見えていますね。
 いつも通り、私が「あの世の入り口まで誰かを連れて来ている」と解釈するのが無難なようです。

 日数が経たないと、鮮明にはなりませんし、これくらいは「気のせい」の範囲でもあります。
 自然現象とは言い難いのですが、角度の微妙なズレがあったのかもしれません。
 すなわち、あらゆる角度から見ても、「何でもない」ということです。

 仮にあの世系の現象でも、「誰にも起きる、特別ではない普通のこと」と思えば、ごく自然体で受け止められるようになります。
 そこを超えると、様々な状況が見えるようになってきます。

 こういうのは、恐怖をもって語られる性質のものでは到底ありません。とかく怪談めいた語り口をするのは、「まったく見えておらず、想像しているだけ」だからです。
 人間には善人も悪人もいますが、「人間の存在が総て悪」だということにはなりません。
 それと同じように霊には悪霊もいますが、その総てが怖いものではありません。
 執着心があるから自我を保っているので、「善霊」とは言えませんが、怖ろしいものではないのです。
 (ま、「善霊」なるものは存在しません。あの世に「社会」は無いので、善悪の別には意味がありません。)