日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎悪意を抜く(589)

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令和三年七月十四日撮影

◎悪意を抜く(589)

 自分の腹の中に悪意が満ち溢れて来たので、そろそろ「ガス抜き」が必要だと思う。

 この辺で抜いて置かぬと、毎日、「誰かに祟りを与える」ことを念じてしまう。

 何事も中途半端はダメなので、「いよいよ」というところまで待っていた。

 

 最初にN湖を訪れる。

 一時は、その都度、自分を見つめる「食い入るような視線」を感じたものだが、今はそれはない。はるか遠くから、ボソボソと話し掛ける声も聞こえたが、至って静か。

 「これが当たり前の状態だ」と痛感する。もちろん、他の人にとっては、ということだが。

 何も無いと思っていたが、帰宅して居間で寝入ってしまった時に、夢の中に「窓に大きな煙玉が出ている」場面が出て来た。

 目覚めてこれを書いているが、N湖のレストハウスでは、私の左後方に人影が立っていたようだ。はっきりしないのだが、それだけ弱いということだ。

 

 「私は、生きている人々の中に入ればただのオヤジジイだが、死者の立場から見れば希望そのものだ。私以外にその存在に気付き、拾い上げてくれる者はいない」

 それなら、その務めを果たすべきで、私事に怒っている場合ではない。

 ひとが生まれてから死ぬまではほんの一瞬だ。死んでからの方がはるかに長い。

 そんなことを考えつつ、しばらく雨を眺めた後、神社に参拝した。

 

 この時期、すこぶる気が楽なのは、「ほとんど何も起きない」ことが分かっているからだ。

 安息の日々はひと月からひと月半ある。

 一年の中で、今だけがほとんど「あの世」を感じずにいられる。

 だが、程なくその休息も終わる。

  自身の姿を見ると、徐々に腕が膨れて来たようだ。

 例年は右腕だが、今年は左腕から始まるらしい。

 してみると、右左は関係ないのか。

 

 姿かたちは見えぬが、どうやらひとつ連れて来たらしい。(女だと思う。)

 左腕はその影響なのか。

 この日の夜に眠るまで、「まったく何もない」と見なしていたが、そうでもない。

 

 気が付くと、悪意がきれいに抜けていた。

 「親も兄弟も、子も孫も総て刈り取れ」

 誰かに向け、そんな祈願(呪いとも言う)をせずに済むようになるから、信仰は必要だ。

 ま、私の場合は「オレ教」ではある。 

 

追記)肘から先の腕が透けていて、後ろにあるシャツの袖(肩から肘の部分)が映っている。なるほど、ちょうど肘の部分に煙玉が重なっていたらしい。

 煙玉や幽霊が間に入ると、人体が透けてしまうことはよくある。この世とあの世は、光学的に互いを打ち消す効果があるようだ。