◎悪意を抜く(589)
自分の腹の中に悪意が満ち溢れて来たので、そろそろ「ガス抜き」が必要だと思う。
この辺で抜いて置かぬと、毎日、「誰かに祟りを与える」ことを念じてしまう。
何事も中途半端はダメなので、「いよいよ」というところまで待っていた。
最初にN湖を訪れる。
一時は、その都度、自分を見つめる「食い入るような視線」を感じたものだが、今はそれはない。はるか遠くから、ボソボソと話し掛ける声も聞こえたが、至って静か。
「これが当たり前の状態だ」と痛感する。もちろん、他の人にとっては、ということだが。
何も無いと思っていたが、帰宅して居間で寝入ってしまった時に、夢の中に「窓に大きな煙玉が出ている」場面が出て来た。
目覚めてこれを書いているが、N湖のレストハウスでは、私の左後方に人影が立っていたようだ。はっきりしないのだが、それだけ弱いということだ。
「私は、生きている人々の中に入ればただのオヤジジイだが、死者の立場から見れば希望そのものだ。私以外にその存在に気付き、拾い上げてくれる者はいない」
それなら、その務めを果たすべきで、私事に怒っている場合ではない。
ひとが生まれてから死ぬまではほんの一瞬だ。死んでからの方がはるかに長い。
そんなことを考えつつ、しばらく雨を眺めた後、神社に参拝した。
この時期、すこぶる気が楽なのは、「ほとんど何も起きない」ことが分かっているからだ。
安息の日々はひと月からひと月半ある。
一年の中で、今だけがほとんど「あの世」を感じずにいられる。
だが、程なくその休息も終わる。
自身の姿を見ると、徐々に腕が膨れて来たようだ。
例年は右腕だが、今年は左腕から始まるらしい。
してみると、右左は関係ないのか。
姿かたちは見えぬが、どうやらひとつ連れて来たらしい。(女だと思う。)
左腕はその影響なのか。
この日の夜に眠るまで、「まったく何もない」と見なしていたが、そうでもない。
気が付くと、悪意がきれいに抜けていた。
「親も兄弟も、子も孫も総て刈り取れ」
誰かに向け、そんな祈願(呪いとも言う)をせずに済むようになるから、信仰は必要だ。
ま、私の場合は「オレ教」ではある。
追記)肘から先の腕が透けていて、後ろにあるシャツの袖(肩から肘の部分)が映っている。なるほど、ちょうど肘の部分に煙玉が重なっていたらしい。
煙玉や幽霊が間に入ると、人体が透けてしまうことはよくある。この世とあの世は、光学的に互いを打ち消す効果があるようだ。