日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎蓋が開いている

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令和四年二月二十八日撮影

◎蓋が開いている

 予め記しておくが、私には特別な霊感や霊能力というものはない。(そもそもその存在を否定している。)

 幾らか直感は働く方で、これから起きる危機みたいなものを事前に察知することはある。地震が来る直前に動物がそれを察知して逃げるが、それと同じ。

 二十歳頃に、アジア某国にひと月半ほど滞在した。毎日同じ道を通るのに、その日だけ嫌な予感がして何となく道を替えたところ、元の道に面していた会社に強盗団が押し入り、守衛や通行人に死傷者が出たことがある。

 通りすがりに門番の守衛と世間話をしたものだが、その守衛は犯人に射殺されてしまった。

 こういうのを知らしめるのは霊感ではなく直感だ。

 

 病気を経験しあの世が近くなってからは、死後の状況について調べている。

 それは私自身が自分の死後にどう振舞えば良いかを知るためで、好奇心とは無縁の話だ。

 面白おかしく「あの世」を語るほど軽率でもない。現に「直接会った」ことがあるから当然だ。

 

 さて、二月末日の話になる。

 この湖についてはこれまで幾度も記して来た。

 ある地点に行くと、最初に対岸から話し声のようなものが聞こえ、下を見ると湖岸に幽霊が溜まっている気配がある。微かだが画像にも残る。

 そこで二年間に渡り繰り返しお焼香をした。これは幾度も書いて来たとおりだ。

 久しぶりにその地点に行くと、かつては聞こえていた「声」が聞こえなかった。

 一時期は、必ず対岸から男女の声が聞こえたものだ。聞こえて来るのは会話ではなく独白のような内容の「語り」だ。

 これが無い時にはさしたる異変が起きぬので、安心して反対側を撮影すると、何だか気配が悪い。

 そこで画像を開いて見たが、ファインダでは分からなかったので、自宅でもう一度確認した。

 

 すると、日光は右後ろから差しているのに、煙玉のような玉が出ている。逆光ではないので日輪は出来ない。また湖の上だから蒸気玉の可能性があるが、この時期は乾燥しているので開けた場所には出難い。

 「説明のつかぬ煙玉」の可能性がある。その「煙玉」を辿って、対岸を点検すると、人影のようなものが見える。ここは降り道の無い場所で釣り客も入れぬところだ。

 人影は一つ所に集まり、ぐるぐるとその周りを回っちるかのような体勢を取っている。

 こういうのは、前にも見たことがある。

 いわゆる「スポット」と呼ばれるところで、この手のことが起きている場合があるようだ。

 「声」が聞こえぬだけに、単純な見間違いや思い込みの場合があるだろうが、殆ど透明に近い煙玉が幾つか浮かんでいる。

 こういうのは警戒するに越したことは無い。

 極力この地点に近づかぬか、あるいは逆にきちんとご供養することだ。

 小さい観音さまを建て、この地を訪れる客たちがお焼香できるようにすれば、唸り声を聞かされずに済むようになる。

 

 中心には眼に見えぬ「穴」がある。出入り口のようなところで、幽霊が出入りする地点だ。

 かつては宿谷の滝や鎌北湖にもあったが、一年くらいでその「穴」は閉じた。(地名を記せるのは、既に消失したということ。)

 動物は「穴」や「幽霊」の存在を感じ取れるから、その近くに行くと必ず足を止めてそっちの方角を見る。犬猫が警戒する地には近づかぬ方が良い。

 

 この世とあの世の接点が「穴」なので、「扉」とか「窓」という言い方をすることがあるが、周囲から集まって「入って行く」のは良いが、「出て来る」なら厄介な事態になる。

 いわゆる「地獄の釜の蓋が開く」という状態になり、亡者が地上に溢れる。

 こういうのは天変地異や災害などの時に顕著に現れるので、今年はこれまでより一層の警戒が必要だ。

 水と食料、多少の現金を手元に置くと良い。

 いきなり買い占めをすると品不足になるから、そうならぬように、前々から、少しずつ補充すればよい。

 秋までには何かしらのはっきりした事件事故が発生すると思うが、こういう直感は当たらずに「やっぱりアイツは当てにならない」と嘲笑される方がずっと良い。それなら人が死なずに済むからだ。

 そもそも私は三週間以内に心不全を発症するから、予感の結末を見られぬ確率の方が高い。

 その時に病院内に居れば幸運だが、自宅で寝ている時ならほぼアウトだと思う。今のところ、気配が凄く悪い。血圧は常に二百三十くらいある。降圧剤は副作用が強く「あの世への片道切符」だから、安易には使えない。

 

 湖を訪れた同じ日に、稲荷の祠の近くで「お坊さん」の幽霊の姿が画像に残っていた。

 私には思い当たる相手だ。今は総てがマイナスに働いているが、その一端をこの幽霊が担っている。

 この僧侶は身の毛がよだつほど怖ろしい形相をしていた。

 怒りのようでいて、どこか人間の感じるそれではないようだ。

 どこかで見たことのある凄みだと思ったが、かつて私の前に現れた「お迎え」と同じ表情だった。

 眼の奥には感情ではなくて、真っ暗な闇がある。

 なるべくなら死の間際まで見ぬ方が良いと思う。それまで信じて来たことの総てが、その一瞬に瓦解する。

 

 幽霊は空気と光の中にいるので、正体を確かめようと拡大したり加工したりすると、逆に見えなくなる。前に記した通り、人間の眼には、曇りガラスの向こう側に人がいるように見えるのだが、実際には向こう側ではなく曇りガラスの位置にそれはいる。

 遠くから眺め、気配を掴むだけでよい。「もし最悪の状況に至ったら」という場合の対処策を用意できるし、その状況に至らぬ前に回避できる。

 

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幽霊画像は時間の経過と共に変化し、通常は数年で薄くなり、次第に消えて行く。