日刊早坂ノボル新聞

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◎標識としての煙玉

◎標識としての煙玉

 「煙玉」はそれ自体が霊的現象というわけではないのだが、霊的現象の付帯的な産物として現れることがある。要するに霊的現象により何らかの物理的変化が生じ、その変化によってもたらされる別の反応だ。

 冒頭の画像は、つい昨日まで「単なる照明」だと思っていた画像だ。

 大き目のガラス窓があるところでは、私は時々、自分の姿が映るようなアングルでその窓を撮影する。ガラスは透過する光と反射する光を区分する効果があり、反射する側の光の波長には、幽霊を可視化する要素(または効果)があるからだ。

 これを撮影したのは、「トラのいた神社」だが、ここで「ガラスの中に居ない筈の人影が映る」ことを発見したので、参拝の度に撮影させて貰っている。

 幽霊は赤外線に反応し、見え易くなることも分かっているから、赤外線カメラを使用して撮影した。これは普段見ている景色とは違うから、記録として残してはいるが、公開はほとんどしない。たぶん、普通の人が理解できる範囲を超えている。

 

 さて、昨日になり気付いたことは、「光の玉が動いている」ということだ。

 もし照明の光なら、位置を替えることはない筈で、左右にひとつずつ見える光の玉がバラバラに動くことはない。撮影者の立ち位置が変われば、双方とも同じ方向へ変化をする。

 よく見ると、私のカメラのフラッシュは、窓枠の上に見えているから、フラッシュ光でもない。

 そうなると、これが何かを説明するのは簡単だ。「物理的要因のよく分からぬ煙玉」で、付帯的産物である可能性が高い。

 二枚目の方が分かりよく、ガラス窓には外の景色が映っているが、内門の右側に、ロングスカートの女性ともう一人が立っており、それを巨大な女が捕まえようとしている様子が見える。

 一枚目の方は、あまり鮮明ではないが、男の姿が徐々に現れるところらしい。すぐ傍にごく小さい光が見えることにより、幽霊が「幽界の煙」の中から実体化しようとしている途中だと推測出来る。

 二枚目の画像には三つ目の光ができ始めているから、その場に留まって連続撮影していれば、さらに多くの情報が得られたヵも知れぬ。

 あの世の検証は、まさに文字通り「雲を掴む」ような行為だから、ピタッとTPOの揃ったところで捕捉する必要がある、難しいが、いずれは「幽界」を出して見せられるようになると思う。

 

 カメラが撮影可能な範囲は、人間の可視域よりも少し広いので、目視出来ぬ人影が写真にのみ写っていることがある。これは「心霊写真」などと称し、世間で時々見られるから、違和感はないと思う。

 ところがさらに進んで、赤外線で見える世界を映し出すと、幽霊とは程遠い魑魅魍魎のようなバケモノが写ったりする。

 幽霊は自己保存のために、他の幽霊と同化合体を繰り返すのだが、その過程において、心が捻じ曲がると同時に姿を変えて行くのではないかと思われる。

 ちなみに、私はよくそのバケモノに抱き付かれるのだが、だからと言って、何も起きない。たぶん、私が半ば死んでおり、この世とあの世との間に居るからだろうと思う。

 心停止を経験した前と後では、見えるもの、関わる者がまったく違う。

 

 つい昨日、人と会ったが、その人が言うには「あなたはもう普通の人とは別次元を生きている。ほとんどの人はもはや理解出来ないのでは」という話だった。

 私もそう思う。そう思うので、なるべく他人と付き合わぬようにして暮らしている。

 当たり前だが、宗教や信仰に関わるつもりはないし、壷も売らない。ただの妄想家の扱いで結構で、その方が煩わしくなくて良い。声を掛けられるのは、幽霊だけで沢山だ。