日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第1K10夜 自分の本性

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令和二年十一月二十三日撮影

◎夢の話 第1K10夜 自分の本性

 最近、あまり体調が良くない。血圧が180~230を行き来しているが、「降圧剤を増やす」という選択をせず、「水分抜き」をしている。水が減れば、当然圧力が下がるという理屈なのだが、さほど血圧が下がらない。ちなみに、降圧剤の多くは副反応を伴うので、「血圧は下がるが別の病気を招く」ことがある。塩分摂取を控えると「水で薄めて排出する」必要性が下がるので、高血圧対策はそこからだ。

 ともあれ、通院日は余計に具合が悪いので、帰宅後は概ね横になっている。これはそんな時に観た長い夢だ。

 

 我に返ると、俺は繁華街の歩道に立っていた。周囲には沢山の人が行き来している。

 空を見上げると、まだお日様が真上にいる。午後二時かそこらのよう。

 視線を下げると、道の向かい側に商店が並んでいる。そして真向いの商店のショーウインドウに俺自身の姿が映っていた。

 思わず「おお」と声を漏らした。

 俺の周囲にいる人の背丈より、俺の頭が三つ分ほど上に出ていた。

 「でかい。二㍍三十はあるぞ。アンドレなみだ」

 すぐにカメラを出して、自分の姿を撮影した。カメラのレンズを通すと、人間の可視域を少し超えた範囲の画像が撮れる。カメラは赤外線域に少し入った物を捉えるからだ。

 俺は近くにあったバス停のベンチに腰を下ろし、早速、画像を開いてみた。

 一体、この俺に何が起きているのか。

 

 すると、目視では俺は俺一人だったのだが、画像の中では普通サイズの俺の上に、もう一人黒い人影が立っていた。

 人影は俺の後ろに立っているのではなく、俺と重なって立っているのだ

 俺にとってはもはや見慣れた人影だった。

 

 コイツは、俺が「でっかい女」と呼んでいる女の幽霊だ。時々、俺の撮る画像の中に紛れ込んで来るが、いつも同じ女だ。この女の身長は優に二㍍を超える。

 ま、あの世(幽界)では、幾らかこの世と物理的法則が違い、光の反射の仕方も違う。でかい・小さいはあくまで「そう見える」というだけの話だ。

 「俺がさっき見たガラス映像はまさしく俺自身だった。だが、この画像には二人分が写っている。ということは、すなわち・・・」

 もう俺の中に、この「でっかい女が同居している」ということだ。

 要は既に俺と女は同化し、合体している。

 

 俺には思い当たるふしがあった。

 俺が撮影する画像の中に、時々、幽霊らしき人影が写り込むことがあるのだが、その中には俺のことを見ている者がいる。だが、よくよく観察すると、そんな幽霊は俺ではなく、俺の少し上に視線を向けているような気がする。

 「あれは俺ではなく、あのでっかい女のことを見ていたのか」

 自分と同じ幽霊で、しかもかなり強力だ。何らかの接点が生じていれば、幽霊同士でも認知できるケースがあるのだが、あれはそんな状況だったのだろう。

 「そして、その接点とは、まさに俺だ」

 俺は若い頃に心停止を経験しているが、元々、第六感が働く性質だったのに加え、それ以降は、幽霊の側から俺のことが見えるようになったらしい。

 普通は起こり得ぬ異変が数限りなく起きる。

大体、時々、回線の繋がっていない受話器が「チリン」と音を立てる。

 「よし。もう一度過去の画像を確かめてみよう」

 

 (ここから半覚醒状態となり、記憶をたどり始める。)

 

「空間を歪めるケース」(令和二年十一月)

 行列の後方から撮影したのに、ガラス映像では俺はその行列の横に立っており、かつ背丈が伸びていた。拡大すると、煙状の影だが、目を離すと人影に見える。

 この日は終日、画像に異変が起きていたので、「幽界の霧」が可視領域に近づいたことによるものだろう。

 

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平成二十九年七月二十四日撮影

幽界の霧」(平成二十九年七月)

 御堂観音の脇を通る時に呼び止められ、急遽参拝した時に、ひと揃い分の異変が起きた。

 「ひと揃い」とは、「声」、「煙玉(ここでは光玉)」、「幽界の霧」、「人影(幽霊)」だ。

 

 いずれの時も、人影(幽霊)の視線は、俺の頭の上の方に向けられている。

 そうなると、「自分は死ねば必ず悪縁(霊)になるという予感がある」、「幽霊がまったく敵意を見せない」ことにも説明がつく。もっとも、「敵意を見せぬ」のには「稲荷の周辺にいる者を除く」という条件付きだ。

 そうなると、俺が今、「自分の本心だ」と思っていることも、実は身近にいる「でっかい女」の持つこころなのかもしれん。いざ同化してしまえば、自他の区別がつかなくなってしまう。

 ここで俺はバス停の小さいベンチから腰を上げ、家に帰ることにした。

 「でも、俺はどこに帰ればいいのだろう」

 ここで覚醒。

 

 一年ちょっと前のあの日の画像は、目を向ける度に少しずつ違って見える。

 最初はバケモノに見えたのだが、時の経過と共にぼんやりして来た。

 最近はあまり「あの世」を身近に感じないのだが、「気配が消えている」ことは、あまり良い報せではないような気がする。相手が見えれば対処のしようがあり、視線や表情で自分の状態を推し量ることが出来るが、今は「この先、自分がどうなるのか」を予測することが出来ない。

 でも、これは「まともな人が置かれた、ごく当たり前の状態」ではある。

 これまでの自分が「ちょっとおかしい人」だったのだ。