◎何故に幽霊がひとに寄り憑くのか
冒頭の画像二枚は、十月十一日に撮影したものだ。
あの世(幽界)の実態は、煙状の世界で、そこには意識だけがある。漠然とした意識界の中にまとまり(核)を持つ「自意識」(=自我)が混在しており、これが一般に言う幽霊だ。死者は肉体を失っているので、五感を持たず、肉体を通じて自己を再確認することが出来ぬから、自我の拠り所は何らかの「思い」によるしかない。
「思い」が強くなればなるほど自我を認識しやすくなるが、強い思いと馴染むのは苦しみや恨みなど負の「感情」だ。幽霊の多くが恨みを語るのは、こういう背景的事情がある。
一方、生きている者には、脳があり合理的にものを考えられるから、つい因果論的に物事を眺めてしまいがちだ。「何かしらの理由がある」と考える。
最初の男性の頭には、女がしがみついている。
二番目の二人連れの男性の頭にも、女がしがみついている。
我々は「それなら、この女はこの男性と何か関係があり、男性に執着しているのだろう」と見なす。
だが、その発想はそもそも「あの世」をまったく理解していないと言えるかもしれぬ。
三枚目以降は、幾度も掲示して来た私自身に起きた状況だが、ある時は私に連なる幽霊のムカデ行列が、また昨年のケースでは、制服姿の女が私の肩に頭を載せていた。
これらは、私とはまったく縁も所縁も無い人たちだった。
幽霊はほぼ「感情だけの存在」と言ってよい。死後も何らかの要因で「意識が残存する」ことは確実だが、これは信仰や宗教の問題ではなく、専ら自然科学の分野で研究されるものだと思う。そこにはいない筈の人影は、環境条件を整えると頻繁にカメラに写るようになるが、それならそこには必ず「ルール」がある。
規則性を考慮することがすなわち科学的視点であり方法であるから、超自然的な存在を設定するのではなく、条件を整え観察することが解決への道筋となる。
これまでのところ、幽霊が人に寄り憑くのは、主に「共振現象」に立脚するもので、感情の波が似た者に寄り憑きやすいことが分かっている。
これを確かめるには、この当事者の境遇について、何か「背後の女幽霊」に繋がるような事象の有無を調べる他に方法はないと思う。これからは、極力、「その人の周囲で何が起きているのか」について調べてみようと思う。