◎「グリーンカード」
数日前の示唆の意味がようやく分かった。あの世の者のメッセージは、「言葉」でなく「感情の波」で行われるから、理解するのが難しい。
おさらいすると、まず夢の中の人物が、覚醒後にそのままの姿で現れた。これが百九十㌢近くの身長で眼鏡をかけていた。
このため、私は一瞬、「息子ではないか」と錯覚した。
この息子と錯覚したことが原因で、「実体化した霊」に対し恐怖を感じなかった。(普通は霊が近寄ると、本能的に恐怖心を覚える。これは心が感応して波立つためで、不可抗力だ。)
要はメッセージを無難に伝えるためにそうした。
次は「緑色の紙」の意味だ。
悩まされたが、要するに「グリーンカ―ド」だと思う。
米国のグリーンカードは「滞在許可」もしくは「市民権」の意味で、たぶんこれだ。
要は以後は「出入り自由」ということ。
あれはあの世の者だったから、これからは幽霊たちと「交流できる」「してよい」ということだ。
だが、私は既に散々寄り憑かれているかっら、居間、「交流して良い」と言われても、「何を今さら」というのが実感だ。
世界には幽霊が満ち溢れているが、自分の境遇が理解出来ずに呻いている。生きた人間が滅多に幽霊を見ぬと同じで、幽霊の方も生きた人間をあまりよく認識出来ない。これは接点が「こころ」すなわち感情しかないためだ。
感情は波と似た性質を持つから、周波数が同じでないと、共感(=共振)出来ない。
私は一度死んだことがあるので、この共振現象が起こりやすいのだろう。
このため、幽霊たちが、そこに私がいると知り、「溺れる者がすがるように」しがみつく。
相手が分かれば、一人ずつ諭し、癒しの感情を送ることで、今いる幽界から先に進ませてやることが出来る。
川の手前で彷徨っていた者たちが、ようやく川を渡れる。
三途の川を渡る行為は、「自我の紐帯を解く」ことで、その先は個人としての存在は無くなる。
もちろん、「川」は主観的表象で、「そう見える」「そう感じる」性質のものだ。実態としてそこに川があるわけではない。
思い描くから、それがかたちになる。
「グリーンカード」を貰ったからと言って、これまでと何かが替わるわけではないと思う。
ただ、一層、寄り憑きが増えるのは確かだ。
左肩に捕まっている女はかなりしつこくて、なかなか離れてくれない。しがみつかれているので、左肩の後ろから背中が凝って堪らない。
毎日お焼香をしつつ、慰めているが、まだ暫く掛かると思う。
まだ、手の感触がある。