日刊早坂ノボル新聞

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◎想像した通りのことが起きている

◎想像した通りのことが起きている

 体の症状が出たので、その日の帰りに神社に参拝した。

 繰り返すと、異常な「体温と血圧の低下」だ。血圧が下がったので、体温が下がった、ということ。

 一見して、循環器(心臓)系の症状のようだが、循環器疾患の典型的な兆候はない。

 血液を送り出す力が弱まっているので、圧力が下がるが、疾病が原因ではないから、痛くも苦しくも無い。ただしんどいだけ。コロナ感染後の検体症状にそっくりだが、「血圧と体温の低下」の症例は聞いたことが無い。「もしかするとこれも後遺症の倦怠感かもしれん」と思ったりもするが、確かめる必要はある。

 

 神社の社務所のガラス戸の前に立ち、すぐに二枚ほど撮影した。

 車に戻り、すぐに開いてみたが、やはり想像通りのことが起きていた。

 私の右腕がほとんど消失し、煙が出ている。

 多くの場合、悪意や執着心を持つ幽霊に取り憑かれるのは右側の方だ。

 これは総ての人に当て嵌まるわけではなく、左右別だったりもするかもしれんが、過去の経験上、私ではそうなっている。

 

ガラス戸は前後に二枚あるので、角度によっては大小ふたつのガラス映像が出来る。この場合は真正面に立っているので、ふたつの「私」が重なっている。

 右腕の影は左よりもかなり大きく膨れており、不鮮明なのだが、これは前に煙が出ていることによる。 

 要は「前に立っている」か「腕を掴んでいる」ということだが、体感的には両方だと思う。

 要するに複数がいるということ。

 正直にひとのかたちを出すのはまだ良い方で、その多くは「助けてくれ」と叫ぶ者だ。姿かたちを隠し、ひたすらしがみついて来るのは、他者への悪意を抱えていることが多い。悪人は自分の悪意を悟られぬように身(本心)を隠すが、それと同じ。

 

 もうひとつ、この日は急遽参拝したので、あまり撮影条件が良くなかったが、全身が日向に居て撮影したのに、体の周囲に黒い影が出来ている。日光の先に進んだところに影が出来るのは当たり前の状態だが、この場合は前にも影があるので、「影が囲んでいる」という状況だ。

 視角よりも体感の方が直接的なので、「触られている」という自覚が重要だ。

 もちろん、その触感はごく僅か。

 これが体感症状だと分かったのは、一昨年を契機に「蜘蛛の糸」の「感触を検知できるようになったこと」と、持病があり「肌感覚が鋭敏になっていること」によると思う。普通は憑依されてもそれと気付かずにいる筈だ。

 こういうことは、特別な者にだけ起きるのではなく、誰の身にも日常的に起きていると思われる。

 

 幽霊(霊)が求めるのは、最終的には「同化」で、相手の自我の中に入り込み、それと合体することだ。当人(霊)は自分でもそのこととに気付かずに、音叉が同じ波長の音に共振するように、感情が共鳴しそうな相手に寄って来る。

 幽霊は感情だけの存在と言ってもよく、合理的にものを考えることが出来ない。

 理性を持たぬ幽霊が「自我を保つ」ための要因のひとつは、怒りや哀しみと言った負の感情だ。結果的に、そのことで取り憑かれた人間は、同じ心痛を味わう。元々、似た感情を持つ人のところに寄って来るわけだが、「その想いを増幅する」と表現した方が実情に近い。

 

 本来の自分ではない者を取り込んでしまうと、多く悪意(負の感情)に苛まれる。この状態が続くと、何時しか主従が逆転し、居候に心を支配されてしまう。ひとが突発的に自死するに至ったり、他者を傷つけたりする時には、心を乗っ取られていることがあるので、そうならぬよう、日頃から自分の本心はどこにあるかをよく注視する必要がある。

 自我に他の者(幽霊)を取り込み、その者に支配されても、その時は既に自我の一部になっている。結果的に、その後の自らの振る舞いを憑依されたせいには出来なくなる。もはやその人自身に成り代わっているからだ。

 

 幽霊の存在は不確かだ。通常は目視出来ぬことがほとんどだ。だが、「声が聞こえる」ケースは見るケースよりも多いし、さらには、より気を付けると「触感の違い」を認識出来るようになる。

 他者(幽霊)の関りを感じたら、「かもしれない」に留め、放置するのではなく、それが存在することを前提とした対処策を想定して置く必要がある。

 基本的に、世間でいう怪談やホラー映画のような展開にはならないから、怖れる必要はない。ゼロではないが、物理的な異変をもたらすことは殆ど無い。

 いわゆる「心霊動画」の大半は作り物だ。監視カメラ映像の体をとった創作物のことが殆ど。

 幽霊がもたらすのは、怪談の語り口とはまったく別の性質の恐怖で、それは「自我を奪われる」ということだ。

 

 「怖れ」は感情の波を大きくする。その波のふれが大きくなると、共鳴(共振)しやすくなる面が生じるので、無用に幽霊を怖れぬことが肝要だ。人間にも他者に害をなす者がいるが、圧倒的に数は少ない。それと同じで、「幽霊は怖ろしいもの」と見なす考え方は、あの世の全体像を見ず、限られたひとつの局面だけを注視するものだと言える。

 幽霊の恐怖を語る者を信用するな。そもそもそういう者には「あの世」は見えていない。