日刊早坂ノボル新聞

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◎幽霊がひとに寄り付く時のステップ (その2)

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幽霊がひとに寄り付く時のステップ その2

◎幽霊がひとに寄り付く時のステップ (その2)

幽霊は感情(多くは悪意)を吹き込む

 幽霊にとって、自我の消滅は「二度目の死」を意味する。このため、自我の存続のため、他の幽霊や生きた者の魂と同化・合体することで、生き残りをはかる。

 オーソドックスなパターンは、前回に述べた通り、相手が幽霊であれば「その相手を吸収してしまう」というステップを取る。また相手が生きた者の魂(あるいは心)であれば、その相手に極力近しい存在に化け、「心の中に入り込む」。

 最終的には、寄り付く側の幽霊は、その相手が自分自身だと思うようになる。自我が完全に同化してしまうわけだ。寄られた側の人間の方は、どこまでが本来の自分の考えなのか、他者の考えが入り込んでいるのかが区別出来なくなる。

 ある時、「急に人が変わってしまう」ケースが現実にあるのだが、本人には「自分が変わった」という意識は無い。変わったのではなく、余計に増えているのだ。

 

 同化・合体のためには、感情を同調させることから始める必要がある。

 そこで、人間に寄り付こうとする幽霊は、相手の心に色んな考えを吹き込む。

 ここに掲示した画像は、まさにその瞬間のものになる。

 いずれも、これまで幾度も掲示しているから、見慣れた画像だと思うが、構図の示す意味には学ぶところがあるから、幾度も見返す必要がある。

 最初の画像では、おそらく女性参拝客に対し、猜疑心のようなものを吹き込んでいる。相手は夫か彼氏なのかは知らぬが、何らかの「疑い」を与えている。

 二枚目の画像では執着心だ。何に執着しているのかは分からぬが、背後の女はそれを掻き立て、強化しようとしている。確かめてみなくては分からぬが、大体は別の女のことだ。奥さん以外に女性がいて、そっちはそっちでややこしい状況にある。

 

 まるで、この人たちが「悪霊に取り憑かれている特別なひと」のように見えてしまうわけだが、実はそうではない。

 これと同じことは、日常的に誰の身にも起きている。

 ただ、普通の人には理性があり、悪意を覚え、それを露出させることはあっても、それに支配されてしまうことは滅多にない。(悪意に支配されれば、概ね「事件」に至る。)

 腹を立てたり、誰かを恨んだりしても、少し時間が経てば、次第に気が静まるものだ。思い返すし、気を紛らわせる。

 こうして、人間が思う通りにならぬと分かると、寄り付いた幽霊は自ら去って行く。

 その意味では、実はこういうことは何でもない「ありふれた出来事」と言える。問題は、寄り付かれた側が平常心を取り戻すことが出来るかどうかにかかっている。 

 

 さて、左から三枚目四枚目は、割と最近気付いたことのひとつだ。室内にいる参拝客女性の左腕が消え、女の片目がこっちを見ている。

 これは割と識別が難しい例だが、それもその筈で、「女」が興味を持っているのは、専ら私のことだ。私は過去に心停止したことがあり、半ばは死人の立場のようで、幽霊から「よく見える存在」らしい。見ているのが私なので、直接、見られている私は、割と気付きやすい。

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悪意を吹き込まぬ幽霊もいる

悪意を吹き込まぬ幽霊もいる

 一方、相手に対し「悪意をそそのかしたり」、相手を「破滅にいざなう」者ばかりではないようだ。

 こちらは、何故寄り付くのか、その意図がよく分からない。

 中左の画像も既に見慣れたものだろうが、私の背後には、白い死に装束を着た大きな女が寄り付いている。この年には、色んな場所で目にすることになった女の幽霊だ。

 元々、幽霊を存在さしめているのは、基本的に執着心や悪意だ。恨みや憎しみ、あるいは何かへの執着心を残しているから、それが求心力となり、自我を保てる。

 よって、前提として「善霊」など居らず、総てが「悪霊」だと見なした方が妥当だ。

 ところが、どうやら悪さを為す者ばかりではないようで、この年は別の悪縁に寄り付かれた時に、必ずこの「白い着物の女」が私に寄り添った。

 私は今も生き残っているし、たぶん、同化もされていないから、もしかすると、この「白い着物の女」は私の側に立つ者ではないかと思う。

 

 最も難解なケースは、中右の右側に立つ「女」だ。これはこの女のことが見えない人が大半だと思う。私は鮮明に見えるし、これくらいの強さであれば、たぶん、目視もすると思う。

 あからさまな悪縁で、かなり沢山の幽霊が寄り集まった存在だ。(私は「イリス」という集合名詞で呼んでいる。)

 この「女」は専ら、私のことに興味を持ち、ガン見しているが、何となく心の中が読める。

 「コイツは何者だ?」あるいは「なんだ、コイツ」と思っているのだ。

 多くの人は、眼に見えぬ者の存在を信ぜず、見え難ければ「いない」と信じる。

 私はもちろん、そんな風には思わない。空気と同じで、「見えぬ」ことは「存在しない」ことの証明にはならないからだ。

 私の場合、もはや「あの世」観察に慣れているので、視線を向けるのが物ではなく、光の進行方向や空気(気配)だったりするから、眼の配り方が幾らか普通の人と違う。

 これは疑いない。

 この視線の配り方が奇異に映るので、この「女」が私に関心を寄せているのだと思う。

 イリスはもはや「悪魔」に近い存在だが、今のところ、私には手を出しては来ぬようだ。

 野球で投手がランナーを視線で牽制するように、「俺はお前のことが見えるし、いつも見ているぞ」と示していることの効果ではないかと思う。

 

 最後は助言だが、仮に幽霊に寄り付かれたとしても、大騒ぎすることはない。

 よく状況を確かめ、理由を考えてみると良い。

 冷静に対処すれば、自然に離れて行く。

 いつも書く通り、「死者に敬意を欠かさぬこと」と「怖ろしい者として捉えぬこと」が肝要だ。

 人間にも何万人かに一人の割合で、他者に危害を加える者がいるが、だからといって「人間総てが怖ろしい存在」だと見なす者はいない。

 いい人もいれば、悪人もいる。

 幽霊は全般的に「恐怖心を煽る」ような語り口で語られるが、それは幽界のことをよく分かっていないことの証明であると言える。

 あるいは、恐怖心は心に隙間を作り、その隙間から幽霊が入り込みやすいことから、恐怖心は「意図的に与えられている」と思った方が良い。常に冷静に対処するのが基本だ。

 魔避けの真言や呪文にすがるのではなく、相手が人間であるときのように言葉で意思を伝えるとよい。

 

注記)一発書き殴りで、推敲や校正をしません。表現の不首尾は多々あると思います。