日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎人影(589)の補足

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令和三年七月十四日撮影

◎人影(589)の補足

 人影を少し拡大し認識しやすくするとこうなる。

 目視では、もちろん、何ら異変が見えないが、「誰かがガン見している」という感覚がある。こちらの目で見えずとも、相手から見られているので、視線を感じるということ。

 

 写真では「景色が歪んだり、色が変わったりする」ことで、「何か」がいることが分かる。

 人のかたちをしていない方が多いのだが、きちんと姿を出し自分を晒してくれる方がむしろ対処しやすい。

 ま、後をついて来るかもしれぬが、単純に助けて欲しいだけなので影響は無い(悪意無し)。

 

 隣にも別のがいそうだが、はっきりしない。見えたものと実態が違うことはよくある。ほとんどの場合は、自我を存続させるために、同化・合体を繰り返しているので、一人に見えてもひとつではない。

 複数を取り込んでしまうと、今度は同じ画像の中の二か所に同じ者が現れることがある。

 二体に見えるが、実際には同じ者だ。

 

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平成三十一(令和元)年三月二十二日撮影

 参考までに、すっかり寄り付かれた状況を示す画像を添付する。

 これは時々掲示しているので、見たことがあると思う。

 この時は外出の後、神社に参拝したのだが、どこかで「女」を拾っていたと見え、ガラスにその姿が映った。

 夕方でもあり、周囲には誰もいない。これは証明するまでもなく、「女」の身長が二㍍くらいあるのを見れば「生きた人間ではない」と分かる。

 白い着物を着た「女」が背後から私に覆い被さっている。

 この白い着物は納棺の時に着せられるような、いわゆる死に装束だろうと思う。

 姿が異様なのだが、見た目同様に一体(一人)だけのようだから、おそらく亡くなってそんなに経っていない。(複数が重なって一体に見えることが多い。)

 死後まもなく現れたのなら、事件事故ではなく、病気が原因で亡くなった。

 ちなみに、怪談では「自殺した者が・・・」「事故死した者が・・・」すぐにこの世に現れるのだが、現実にはほとんどない。自死・不慮の死の場合、多くは何年間か暗闇の中にいる。一方、自然死した者は、死後しばらくの間、この世に留まることが多い。もちろん、期間は人によって違うが、心が鎮まれば先のステップに進んで行く。

 

 こういう幽霊に特に悪意はなく、「助けて欲しい」「きっと助けてくれる」と思って縋り付いている。このため、こういうケースではさしたる悪影響はない。

 もちろん、「何となく傍に誰かがいる」という実感があるし、それを無視していれば、相手は「自分を見て欲しい」という理由で、肩や背中を重くしたりする。

 だが、それと気付き、相手を「慰める」ことを心掛けると、自然に去って行く。

 慰められぬ時には、そう言って「自分には助けられない」と断ること。

 この「女」は割合長い間傍にいたようで、半年くらいに渡り、幾らか「しるし」を残した。

 

 ダメなのは、恐怖心から「悪意の無い相手」を攻撃することだ。

 幽霊は「負の側面」ばかり強調されるが、例えて言えば「学校が違うだけ」。

 「幽霊は恐ろしいもの」という考えは、発想もアプローチも誤りだ。

 人間には、一部に粗暴な者がおりイカサマ師もいるわけだが、そのことで「人間はロクデモない存在」と見なすのは早計だ。幽霊もそれと同じ。

 常に敬意を持って接するようにすれば、殆どの場合、何も起きない。