日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎霊界通信「心強い味方」

最後の画像を追加。左手の指が二つに割れているが、私にはこれは出来ない。

霊界通信「心強い味方」
 三月末日には聖天院と高麗神社に参詣参拝したが、途中で幾度かガラス窓でのセルフチェックを行った。
 最初は聖天院の社務所のガラス窓を利用させて頂いた。
 窓に自分自身の姿を映した時点で、左後ろに「女」の姿があると思ったのだが、その時の印象では「でっかい女」の方だ。
 写真を撮り、後で開いて見ると、「でっかい女」なのか「巫女さま」なのかはっきりしない。やや恰幅が良いので、「でっかい女」の方だと思う。
 いずれであっても、私の仲間で、私を支援してくれる存在であることは疑いない。もし悪意があるなら、もはや十年も前から傍にいるわけだし、とっくの昔に私はどうにかなっている。
 その間にも幾度か危機が来て、その都度助かっているわけなので、「味方」以外に考えられない。
 私の左後ろには「穴」(この世とあの世の結節点)があるのだが、これと言う時にはそこから出て来て、私に手を添えるようだ。
 今回も私のことをかばっているように見えるが、相手は私の右肩に居る「黒玉」だと思う。これは「女」で、昨夜の夢の「芸妓」すなわち「縞女」だと思う。
 コイツは筋金入りの悪縁(悪霊)だから、背後の女は危機を感じて寄り添ってくれたのではないかと思う。もちろん、あくまで想像だ。
 ひとは独りで生きているのではなく、家族や親族・友だちなど「この世の繋がり」があって支えられているし、危機の時にさりげなく背後で「心を支えてくれる」ような「あの世繋がり」もあり、この方面でも助けられている。

 もちろん、基本は本人次第で、運命はとどのつまり本人の選択と意思決定による。
 いつでも無条件で助けてくれる「守護霊」みたいな存在はないので、この世もあの世も「自立」を心掛けることが肝要だ。(ここで断言して置くが「守護霊」はいない。あれば人類はもう少しましな存在になっている。)

 

 さてここで改めてこう思う。
 「俺には『巫女さま』がいるし、もっと艶のある関係の『でっかい女』や、巫女の使いの『トラ』と、最近では『お稚児さま』までメンバーに加わった。死んでも変わることの無い仲間がいるのに、何を怖れることがあるのか」
 困難があっても、自分なりに戦えばよいわけで。
 今日の空のように、心中には青空が拡がっている。

 聖天院の後、高麗神社に向かった。
 この日は日曜で参拝客が多かったが、他の客には二三、肩に幽霊を載せた人たちがいた。
 一例を挙げると、最初の画像では私の左に両手を挙げた男性がいるが、ガラス窓の姿を見ると、胸元にもう一本の痩せた腕が出ている。その手の後ろには、女の顔があるが、実際にはそこに人はいない。あまり鮮明ではないが、蜘蛛の足みたいな形状は典型的な幽霊の手だ。触感もあるはずだが、普通はそれと知覚できない。いつも記す通り、「蜘蛛の糸」程度の、ほんの1グラムの触感だ。
 コイツはあまり素性の良くない女なので、早く下ろした方が良い。やり方は難しくなく、心当たることがあるかどうか自身を顧みて、自分に非があれば、それを反省し、謝り、慰めることで済む。理由があっているのだから、極度に怖れたりする必要はない。幽霊は原則として心に働きかけるもので、ドアが勝手に閉まったり・・・みたいなことは少ない(ゼロではない)。

 由々しきは二枚目の方で、この若い女性には「煙の帯」がまとわりついている。たぶん、「蜘蛛の糸」みたいな自覚症状もあると思う。
 右肩には帽子を被った男性の顔が出ているが、割と身近な人だったようで、酷い悪意はない。ただ。このしがみ付き方だと、肩が凝る筈で、あちこち調子が悪くなってしまう。
 ご先祖様の供養から始めて、死者をおざなりにして来たことを謝り、暮らし方を改めるとすぐに好転する。
 目視は難しいが、左側にも女性がいて、こちらは少し悪意を持っている。嫉妬心みたいな感情のよう。

 私は能力者ではなく、以上は総て、経験と想像によるものだから、あやふやな部分を含む。あの世は自ら説明してはくれぬので、状況で推察するしか方法がない。
 いつも記す通り、この世的な意味での「確からしさ」には限界があるのだから、ある水準のところで見切り、早めに対策を打つ方が現実的だ。
 また、状況が悪化しきったところで、対策を始めても、既に間に合わなくなっている場合がある。打つ手が無くなってからでは、為すすべもなく悪縁の手中に落ちる。
 やり直しは利かない。今生と同じで、一度きり。

 

追記)「幽霊が抱き付く」「つきまとう」と言うと、「悍ましい」「怖い」という気持ちが先に立つだろうが、実際には、「誰の身にも」「頻繁に起きている」。これが現実だ。
 ただ、ホラー小説や映画のように、それが直ちに凶事に結び付くわけではない。
 幽霊は心(感情)に共感して寄り憑くもので、いつも明確な目的意識を持って近づいているわけではない。共感し、その気持ちを強化・増幅するが、それが出来ぬ時には自ら去って行く。

 人間にも悪人はいるが、だからと言って「人間総てが悪人」というわけではない。幽霊も同じで、総ての幽霊が怖ろしい存在というわけでもない。「生きている人と同じ」なら、それと同様の付き合い方をすればよし。

 私の傍に寄り添って立つ女たち。これが起きたからと言って、何かっ特別な凶事が起きたわけではない。女たちはあの世(幽界)の中を彷徨っており、あの世と繋がる穴を持つ私のことを認識し、近づいて来た。自分一人の力では、自我を昇華(世間的には「成仏」)出来ぬので、誰かを頼って寄り憑く。もちろん、「助かりたい」だけで、悪意はないが、あまりにも強くしがみ付かれると、幾らかその人間には悪影響が出る。