◎「背盛字銭の新研究」を読む (その4) 暴々鶏
本文の読解に戻る。現在の収集家にとっては、最も解釈に困る箇所である。
◆「大迫銭座」 (続3) 十五号497頁(6)~499頁(9)
従来盛岡藩鋳造背盛字異書と称さるるものに比し、第一に眼につくのは形態のやや大ぶりなると、銭文の書体全く相違して居ることであろう。質は白銅の如く一見白銑を磨いたような光沢を感ずる。銭質から見ても藩鋳銭中稀有のもので、これが多数の鉄銭に混じており、種銭として使用したらしい磨沢を有する事から見て、子銭の有無探査は必然的に促進さるべきで、従来此の方面開拓が不十分であったことを感ぜしむるものである。
銭文の書風と銭形から見て、これを新選寛永銭譜所載正用当四銭中、亀井戸俯永の系統と見なして大過なきものと思ふ。この見解にして誤り無くば源六借用母銭中に正にこの一種を加うべきである。即ち藩内通用の証として盛字を附せねばならぬ事になったので、従来使用してあった銭種の1つに直ちに盛字を嵌め込んで種銭を鋳造し、やがて八百八の新母が出来するに及んで、これを廃したものと解すべきで、背盛字銭中けだし最古に属すべきものと思われる。
次に掲くるものは即ち盛字異書で、大正7年岩手古泉会誌第2号により紹介されたものの類品で、既に本誌第5号に拓影を示したものである。今比較の便宜上再び図示することにしたが、書体は前者と全く異なっており、銭背の盛字が波文と全く隔たり居るも注意せらるべく、銭形のやや小型であり銭文波線共に肥えていることも眼を惹く点である。
この銭は大正7年大迫町誌編纂当時、鋳銭座の一項を加えたのが動機となって、余の所蔵に帰することになったもので、岩手古泉会誌に図示せられた盛岡市宮福蔵氏旧蔵品よりは心持大きく、平尾賛平氏愛蔵の銀鋳銭に対しても同様に思われる。
両面とも鏡のように極めて念入りに研磨され悉く鐁(かがみ)彫になっている。単に鋳浚いの為とせば穿孔部の如きは鑢で一寸磨いても間に合いそうなものであるが、この部にも極めて丁寧な鐁の跡が記されて、鋳浚い銭としては余りにも丹精を擬し凝らしほとんど原母と変わりの無いほど手を込めたものである。郷土の美術彫刻品を愛蔵する人の中には、月館の手法と共通する所あるを指摘しているが、何れにせよ時間を惜しまずにやった美銭である。 (引用ここまで) ※朱字は本文内で強調されているもの。
その1)背盛字異書
その2)亀井戸俯永の系統
この箇所で唐突に「盛字異書」が出て来るのだが、これは既にこの銭種に関し会員の了解があったことを示す。後世の者は、当時の人が何を指して「異書」と呼んでいたのかはよく分からぬので、文脈で察する他はない。次節(8)に、次に掲ぐるもの(二)がすなわち「盛字異書」であるとしており、これは現在、我々の知る「下点盛」(新渡戸は「降点盛字」とした)であるから、「従来、盛字異書とされた」背盛銭は、「下点盛(降点盛字)」を指す。
文脈上、この箇所は掲図(一)に関する情報となるが、この場合、この銭の特徴は下記のとおりである。
掲図(一)大迫開座初期の盛字嵌入母銭 (背の「盛」字は下点盛に同じ)
・通常の下点盛よりも銭径が大きい
・白銅の如く一見白銑を磨いたような光沢がある
・銭文の書風と銭形は、亀井戸俯永の系統である
・従来使用してあった銭種の1つ(俯永)に直ちに盛字を嵌め込んで母銭を鋳造した
・月舘八百八の新規母銭が出来するに及んで、これを廃した
ちなみに、後段でも「白銅なのか鉄なのか素材の分からぬ母銭様」の背盛が登場するが、初期に見本銭のような「玉鋼」を素材とした鉄銭が存在したようで、現品は浄法寺より出ている。
著名な収集家が亡くなった折に世に出たが、関西の収集家の蔵に入ったらしい。
その3)源六借用母銭中に正にこの一種を加うべき
その4)従来使用してあった銭種の1つに直ちに盛字を嵌め込んで種銭を鋳造
その5)背盛字銭中けだし最古に属すべきもの
ここでは「深川(亀井戸)俯永の背に盛字を嵌入した銭」と言うことから、月舘八百八が独自の背盛彫母を彫金する前段階で使用した銭種と見なすべきである」という論理的推察を述べている。
その6)盛字異書
次掲の(二)図が「盛字異書」すなわち「下点盛」となる。
要点は次の通り。
・大正7年岩手古泉会誌第2号により紹介された
・南部史談会誌五号に拓影を示した。→参考図06
第五号では、「拓影」と明記してあり、この掲載図が単なる模写ではなく、実在の銭を反映した情報であることを示している。
その7)書体は前者と全く異なっており、銭背の盛字が波文と全く隔たり居るも注意せらるべく、銭形のやや小型であり銭文波線共に肥えている
ここで言う「前者」とは、本文掲図(一)のことを指すと思われる。
・(一)すなわち深川俯永の背に「盛」字を嵌入した型とは違い、銭背の「盛」字が波文と全く隔たっている
・銭の大きさがやや小さく、銭文波線の両方が肥えている
という相違がある。
二つ目の相違点は、型本来のものというより、面背の研ぎ方によって生じた帰結的傾向と見なされ、型自体の相違ではないかもしれぬ。
その8)この銭
その9)鏡のように極めて念入りに研磨され悉く鐁(かがみ)彫になっている。
ここは、(二)に関する記述の流れに沿っているから、(二)の出自について述べたものである。
・大正7年大迫町誌編纂当時、鋳銭座の一項を加えた時に、小田嶋の所蔵になった
・岩手古泉会誌に図示せられた品(宮福蔵氏旧蔵品)よりは心持大きい
・平尾賛平氏の銀鋳銭に対しても同様(=これより大きい)
・銭容は、鏡のように極めて念入りに研磨され悉く鐁(かがみ)彫になっている。
「鐁」とは「反った槍の穂先のような刃に長い柄を付けた鉋」のこと。突くようにして削る。
・仕上げに際し、各所に刀(鐁)を入れている。鋳浚い銭としては、丹念に手を入れている。
と言った特徴がある。
(二)以降が、現在の収集家の知る「下点盛」に関する記述となっている。
繰り返しになるが、(一)は深川俯永の背に「盛」字を配したもので、(二)以降は「盛」字の点の位置のみ共通するが、面文書体を含め別途の銭容となっている。(続く)